「私の人生において、お母さんの作ったごはんを食べた回数と自分で適当にインスタントを作って食った回数はたぶんどっこいどっこいだ」と旦那に言ったら、「やっぱあんたの家、変やんなー」と言われた。
割と普通の人生を送ってきたつもりだったけど、「今まで会った中で一番変わった家族やわー」とも言われた。
(そんなんと結婚するほうも大概だと思うが)
うん、まあね。大学で一人暮らしを始めて、いろんなひとたちの文化ってもんを見てきて、「ん?」と思うことはたくさんあった。うちって変だったんだなーとけっこう思った。
おわりのはじまり
(ってつくづく、べんりなことばね。)
「おかあさんと、離婚しようと思う。」
そう言われたのは、たしか3回生の春。帰省する私を駅まで迎えにきてくれた父の車の中でだった。
「そうしたいんやったら、それでええんちゃう?」私は自分でもびっくりするくらい冷静だった。2つ下の妹は、泣いたらしい。4つ下の弟は…なんだっけ、わすれちった。
そして、結局そうすることになったらしい。
忘れられないメールがある。
3回生の8月、実家にオケの同回生を呼んでBBQをやった。本当に楽しかった。最高の1日だった。
みんなと一緒に、阪急電車で京都まで帰った。駅を出て、みんなにさよならを言った。そこでメールがきた。
「今日は本当に楽しかった。これから正式に離婚の手続きを始めます。最後に、最高の思い出をありがとう。」
父からだった。
私は泣かなかった、と思う。
隣にいた当時の彼氏は、「あんたもたいへんやなあ」と言ってくれた、気がする。
親って、なんだろう
そのあとはとんとん拍子にめでたく円満離婚!なーんてうまい具合にはいかないものだ。
母親がゴネたのだ。もちろん、金銭面で。親の汚い面を目の当たりにすることがどれほど苦痛であるか、この時に思い知った。
本当に嫌だったけど、長女としてただ傍観しているわけにはいかない。何度か母親の説得を試みた。繰り返すけど、本当に嫌だった。
ここでまたひとつ、忘れられないやりとりがある。
車に、私と母のふたりきり。
「ねえ、やっぱりおかしない?もっかいおちついて考えてみてや。やって…」
「なに?おとうさんに吹き込まれたの?」
私のなかで大切ななにかが粉々になる音を、確かに聞いた。
気持ち悪い。
え、なんなの。
もうこの人は私の理解の範疇を超えている。かかわりたくないかかわりたくないかかわりたくないかかわりたくない
紆余曲折の末、父が大きく折れて離婚成立となった。
「離婚が決まりました。」母からの電話に、私は全力の明るさで「よかったやん!おめでとう!!」と返した。
正直、やけくそではあった。でも実際、離婚って祝うべきことでもあると思う。一緒にいたら不幸になる二人が、別々の道を歩むってことなんだから。
両親が離婚しなければ、わからなかったこと
さて、記事タイトルに沿ってちゃんと良かったことを書かないと笑
色々あったけど、私は自信を持って「両親の離婚を経験できて良かった」と断言する。なぜならこの体験を通じて、新たな考え方をインプットできたからだ。有用な実例を目の前にしながら。
①自分の行いは、基本的に過小評価される
父は、超一流のビジネスパーソンだ。びっくりするぐらい稼いでいる。でも、母にとってはそんな事実よりも「自分の車を端に寄せて止めてくれないから、私が駐車するときすごくやりにくい」という不満の方が100倍くらいでかい。
②絶対に、相手のせいにしない
「あなたのせいで、こうなったんじゃない!」これ、だめ。本当に、絶対、言っちゃだめ。なにも生み出さないし、お互いがマイナスの沼にはまるのには非常に有効なテクニック。
③お互いの、笑顔のツボを知っておく
なにをすれば、この人は笑うのか。なにをすれば、この人は幸せになれるのか。それを知っておいて日常でちょこちょこ実践する。それができてる家庭はきっとすごく素敵なんだろうなーって思った。
繰り返しになるが私の両親は、離婚して良かった。
親だって普通の人間なんだな。迷いながら生きてるんだな。そう気づいて、ちょっとばかしクスッと笑えた。
もちろん私は、離婚はしたくない。どうすれば、相手が幸せな毎日を過ごせるか。そう考えながら日々を過ごしていれば、おのずとこの空間が「帰る場所」になるのではないか。
そんなことを思いながら、今日という一日を終えようとしている。