昔のことを思い出さない日はない。
秋の夜風がこんなにも美しい日となると、なおさらに。
昔の記憶────昔というのは、小学校からの帰り道に見上げた田舎のあぜ道の空だったり、街灯もない真っ暗な中を散歩して虫の鳴き声に包まれたときのことだったり、大学時代の銀閣寺近くの下宿から南禅寺まで、宵闇の哲学の道を歩いたときのことだったりする────は、なにによって想起されるのだろう?
山手線に住む虫たちの声、窓際の私を優しく撫でる秋の風、ビルの隙間から見える雲の遠さ。
東京のようなところにも、昔の記憶のかけらは転がっているものだ。
8月の私は、強い言葉に触れることが多かった。
強い言葉、そしてただの文字の羅列につかれてしまった私は、詩集を買った。
中原中也、『汚れつちまつた悲しみに……』。
私はそれを、ぽつりぽつりと、声に出して読んだ。
少しづつ、生きている心地が戻ってくる気がした。
ひとの文章をすぐに「ポエム」と揶揄する人は、詩人の言葉遣いに嫉妬したことか、ないんだろうか、とある人が言っていた。
中原中也は、30歳で亡くなった。
あと3年か、と私は思う。
そのころには、私の昔は、少しは新しくなっているのだろうか。