朝からスコーン

考えたこと。やってみたこと。やってみたいこと。

納得感

面接 x 納得感

ちょうど1年前、初のエンジニア就職を目指して転職活動を行っていたころ、キャリアアドバイザーさんから印象的な言葉をいただいた。

 

いわく、「面接は納得感が重要です。」と。

 

面接官が面接を終えたあと、「今面接した奴はこんな人間だった」と思い出せるよう、きちんと印象を残すことが大事らしい。

 

うまく理解できない話=納得感のない話は記憶に残らない。記憶に残らない程度の話しかできない人は、あまり採用しようとは思えない。そういうことらしい。

 

確かに事実そうだな、という気はする。

 

自分も何度か面接官として候補者をジャッジさせていただいたことがある。前職を辞めた理由、この会社を志望する理由が曖昧で納得できなかった人には、概してあまりいい印象は持てなかった。

 

 

 

1年前の転職活動の時は、このアドバイスを受けて以来、相手にとって飲み込みやすい言葉を模索するようになった。特に私は全くの異業種からの転職だったため、なぜエンジニアになりたいのかの説明はアドバイザーさんと何度も練りに練った。

 

最終的にひねり出した答えは、「技術の発達を見るに、通訳としての未来には不安がある。ならば、パイを奪われる側ではなくパイを奪う側に回りたい。技術を発達させる側の人間になりたい。」というものだった。

 

これはなかなかウケがよかったらしく、第一志望の会社の面接官も、これで「おもろいやん」と思ってくれたらしい。うまいこと「納得感」のある面接ができたというわけだ。

 

一方でこの言葉が全くの真実かというとそうでもなくて、通訳業はおそらく廃れないだろうと思っているし、そもそもエンジニアを目指し始めたのは、将来移住を考えているNZでは通訳でビザをとることは難しく、エンジニアならはるかに簡単にビザをとることができそうだったからだ。

 

でもそんなややこしい説明をしても、まあ聞き流されて終わりだろう。

 

事実をそのまま伝えることは必ずしも正解ではなくて、相手に伝わりやすい形に編集する必要がある。それはこの転職活動において、大きな学びだった。

 

 

 

物語 x 納得感

そんなこんなで無事エンジニアとして働き始めた私は、マンガワンというアプリにはまっていた。

 

マンガワン

マンガワン

  • SHOGAKUKAN INC.
  • ブック
  • 無料

 

マンガワンというのは無料で漫画が読めるアプリだ。時々手塚治虫などの古い作品も掲載されるが、大半は新しい作品だ。毎週更新されるので、曜日ごとにお気に入りの作品を読むのが今でも日課になっている。

 

このアプリの面白いところは、他人のコメントが読めるという点だ。各話最後にコメント一覧があって、他人の感想を読むことができる。これがけっこう面白い。

  

しょせんスマホアプリというべきか、明確に面白くない作品というのはあって、そういうものはやはりコメント欄も荒れる。

 

そんな荒れたコメント欄を見ながら、ある日私は思った。

 

 

「これも納得感なんじゃないか…?」と。

 

 

「これまで人間不信に陥っていた陰鬱なキャラが突然覚醒して明るくなり仲間仲間と言い出すようになる」「世界各国の殺し屋が集まってくる必然性がよくわからない上にみんな小者」「あまりにも人がばたばた死にすぎてちょっとついていけない」。。。

 

そういった感想はすべて納得感の欠如によってもたらされるのではないか、と気づいた。

 

人間不信ならその理由が知りたいし、それが突然仲間思いになるのであればその心境の変化の描写は必須だ。しかもとってつけたようなものではなく、きちんと納得できるだけのものが。

 

世界各国の殺し屋が集まってくるのなら、それだけ重要な事件なのだということを読者に伝える必要があるし、人がばたばた死ぬのならその種明かしは必ずしないといけない。

 

「物語が浅い」「共感ができない」。これらはいずれも読者を納得させられていないということなのだと思う。

 

これはなにも漫画に限った話ではなくて、小説、劇、映画、すべての物語に通じる話ではないだろうか。更に言えば、学術系の本や、仕事での会話、つまりあらゆるコミュニケーションにおいて普遍的なものなのかもしれない。

 

いいな、すごいなと思う物語は例外なくキャラクターが魅力的だ。キャラクターが魅力的なのは、彼らの個々人の動機や行動に納得感があるからだ、と思う。

 

 

現実 x 納得感

 

一方で、現実はそんなに綺麗に説明できるものではない。個人の人生は偶然の積み重ねだし、人間の感情もコミュニケーションも複雑だ。

 

事実をそのまま伝えることは必ずしも正解ではなくて、相手に伝わりやすい形に編集する必要がある。

 

 

さきほどのこの言葉は、さじ加減によっては危険な考え方になりうる。悪い方に振れてしまうと、陰謀論やデマ、フェイクニュースとなってしまう。

 

こいつは悪で、こいつは善。二元論は易しいし、楽だけれども、世界は、社会はそんなにシンプルではない。

 

 

物語を描く側としては納得感を与えることが重要。

 

一方で、現実社会を生きる上では納得感を求めすぎず、その歯切れの悪さを受け止めながら事実と向き合い続ける粘り強さが何よりも大事だなと思った。