遠くまで行きたい。
私の人生の目標、日々を生きる際の羅針盤となっているものがなにかと聞かれれば、これだと思う。
遠くまで行きたい。
は、すなわち「スペシャリストになりたい」であり、「強キャラになりたい」であり、「なにかを極めたい」である。
人生80年、100年もあるのであれば、いつかは「私の戦闘力は53万です」って言えるようになりたい。
なにかを極めることに憧れた最初のきっかけは多分、北方謙三の『水滸伝』。12世紀ごろの中国の英傑伝なんだけど、槍の名手、剣の名手、怪力、名軍略家はもちろんのこと、天才医師、馬の調教の達人、ただただ足が速い人、達筆な人、盗みが得意な人、一流の鍛冶屋など、ありとあらゆる方面の特技を持った人が出てくる。
皆が一つの目標を共有して(国家転覆)、互いの技術を尊重して、頼って、頼られて、というその在り方がとてもとてもかっこよくて、中高時代に貪るように読んだ。
「医術なら安道全だ」「槍なら林冲だ」と言われるように、自分も「○○ならスコーンだ」と言われるようになりたいな、という気持ちが、読みながら実は芽生えていたんだと思う。心の底で。
遠くまで来たな。
幸い、今までの人生を振り返ってそう思えることは、いくつかある。
英語が喋れないもどかしさに泣いた21歳の私と、「英語なら喋れますよ」と堂々と言えるようになった25歳の私。
「だし2カップ」の意味がわからず黒焦げの筑前煮(だったはずのもの)を生成してしまった19歳の私と、帰宅後30分で3品出せるようになった25歳の私。
京大/京大オケに入りたくてたまらなかった14歳の私と、京大/京大オケを卒業した25歳の私。
将来なにがしたいかわからず迷走する22歳の私と、エンジニア道を歩むことを決めた25歳の私。
その時々はただただがむしゃらなだけだったけど、振り返ってみたら遠くまで来ていた。
私にとってはまさにこれこそが、生きる喜びだなと思う。
最近とみにNARUTOブームが全俺の中で再燃していて、何がいいってあのド直球の成長物語!
初めてNARUTOに出会ったのは中学受験の直前で、あの頃の私は12歳で、ナルトたちも12歳だった。うおーこいつら同い年なんかと思いながら読んでいたのをよく覚えている。
大学受験やらなんやらで忙しくなって読まなくなって、気づいたらいつの間にか完結していてなんと二児の父なんかになってしまっている。
今更ながら話にキャッチアップしていくと、なんだかとんでもなく強くてかっこいい大人になってしまっていて、「いやー、あのナルトがなあ…」と親のような感慨深さがある。
ナルト以外のキャラクターも皆本当に魅力的。小さい頃どんなことがあって、何を考えて大人になったのか。何を大切にしているのか。人とのつながりってなんだろう。あの漫画はそういった描写が本当に丁寧で、作者の誠実な人柄がしみじみと感じられる。
10代の頃はそういった描写がしつこく感じられたものだけど、今になってみるととても沁みる。大事なもの、大事にしたい。
自分はどんな大人になれるのかなあ……と思っているうちに気づけばもう26歳が間近なんだけれども、結局何歳になっても同じようなことを思っているのかもしれない。
3年後、5年後、10年後。今を振り返ってまた、「遠くまで来たな。」と思える自分になりたい。