「受験生がうらやましい」
私の17歳の1年間は、ほぼ受験勉強一色だった。
11月生まれ。
17歳になった11月から翌年の4月までは、ちょくちょく部活をがんばったりもしたけれども、4月に引退してからはまさしく受験勉強一色になった。夢はでっかく、目指すは京都大学文学部。
模試を受けても受けても出るのはD判定、E判定ばかりで、本当に怖くて、追い詰められていて、毎日を必死に生きていた。
(「30歳の私へ」とかそんな感じのタイムカプセル用のメッセージを書くことになったときも、「あなたは京大生になれましたか?京大卒業生ですか?」としか書かなかった爆)
毎日をそれだけ必死に生きていたので、とある教師のこの言葉にカッチーン!!!ときたのは当然だと思う。
教師「受験生がうらやましい。もう一度受験したいぐらい」
授業中にこの言葉を聞いたときの私の胸中は「んだとコラァ!??どんだけ辛いかわかってんのか!???アアン!!!????」だった。
本当に腹が立って、その夜父に「先生がこんなこと言っててんけどめっちゃむかつかへん!!!??????」と言ったら、なんと、予想外なことに父は先生に賛成したのだ。「それはわかる気がするなあ」と。
当時は教師の言葉にも、父の対応にも非常に不満だったんだけれども、26歳になった今、ちょっとは彼らの気持ちがわかるようになった気がする。
コントローラブルかアンコントローラブルか
受験はコントローラブル
人生におけるさまざまな出来事において、受験は比較的コントローラブルだ。ここでいうコントローラブルとはつまり、「自分の努力でなんとかなる」ということ。逆はアンコントローラブル、「自分の努力ではどうにもならない」。
もちろん、家庭の事情でアルバイトに割かれる時間が大きいとか、塾に通うお金がないとかそういうことは子供にとってはアンコントローラブルなんだけれども、幸いにも私の高校は恵まれた家庭の子供が多かったので、そういった障害はほとんど無いに等しかった。
そういった最低ラインをクリアすると、受験はとてもコントローラブルだ。なにをどれだけ勉強するか。本当にそれだけ。たったそれだけ。(あとは当日の運!これが5割くらいを占めるけど!笑)
で、教師の言っていた「うらやましい」とは、そのコントローラブルさに対してなんじゃないかと思う。なぜなら、社会ではアンコントローラブルなことの方が多いから。
社会はアンコントローラブル?
世の中、アンコントローラブルなことはいくらでもあふれている。大きくは景気の波、法律の改正、税金、会社の業績、小さくは迷惑なご近所さん、自分の異動先、職場の人間関係、家族関係など……
教師だったら、どんなクラスにあたるか、生徒たちの親はどんなか、同学年の他の先生は誰か、とか。そんなの全部アンコントローラブルだ。
安定の象徴と言われる(と言われていた)大企業だって、アンコントローラブルのかたまりだ。どの部署に配属されるか、先輩・同僚・後輩は誰か、合う上司か合わない上司か、取引先がうまくいくかいかないか、会社の業績が良いか悪いか…これらも全部アンコントローラブル。
で、ここまで書いて気づいた。
私は自分の人生をできるだけコントローラブルにしたいんだと。
自分の人生をコントローラブルにしたい
コントローラブルな人生とは
私は、自分の人生をできるだけ楽しくて面白いものにしたい。好きな人と、好きな場所で、好きなことをやって生きていきたい。
逆に言えば、嫌いな人、嫌いな場所、嫌いなことからは全力で逃げて生きていきたい。
そのためには力が必要だ。
好き嫌いで選べるようにするためには、好き嫌いを言えるだけの力が必要だ。
仕事でいえば、 自分の行きたい会社に受け入れてもらえるに足る人材になる必要がある。
そういう意味で、エンジニアってとてもいい仕事だと思う。
会社が必要とする要件(技術)は明確で、だいたい実力に応じた給料がもらえて、実力さえあれば転職ができて、なにより自分の努力が直接自分のキャリアの足しになる。
転職の多い職種だと聞いていたし、実際にエンジニアの方々の話を聞いていても事実らしい。
私にとってのコントローラブルとは、「自分の努力が明確に自分の足しになりやすい」ということで、これは自分の仕事を決める上でとても大事なことだったし、これからもそうだ。
コントローラブルな人生を求めて転職を繰り返していた(今気づいた)
私は大卒後2.5年の間に3回の転職を経て現在4社目という、なかなかのジョブホッパーだ。そして今は、本当にいい職場に出会えたしここでがんばっていこうと思っている。
で、今振り返ってみると、私はずっとコントローラブルな人生を送れる仕事を探し求めていたんだなと気づいた。
今まで経てきた会社・職種を考えてみよう。
■ 人材会社の総合職
どんな職種につくかわからない。何を担当することになるかわからない。
とりあえずたくさん数をこなせばよいらしいけど、それをこなした先にいる人を見ても特に魅力は感じない。←今気づいた、これはかなり大事かも…
ここにいても、将来自分で環境を選べるだけの人間になれるかは疑問だった。
■ 昭和な企業での貿易事務
社内の人間関係&ヒエラルキーという、業務内容以外の要素が強すぎた。
振り返ってみれば、明確に、「好きな場所」ではなかった。
■ 大学教授秘書
ここは好きだった。大学の研究室だったので、周りは専門家ばかり。こういう世界もあるんだ…という社会勉強になった。ここで働かせてもらっていなければ、エンジニアにはなっていなかったかも。エンジニアの世界を垣間見れた時間。
一時期通訳を目指していたのもそれがコントローラブルと思えたからで、自分の努力で実力をつけて、実力があれば経験が積めて、経験を積めば1つの会社に依存せずとも生きていけるというのが理想的に思えた。
それが今ではエンジニアを選ぶことになったわけだけども。
コントローラブルな人生を求めて
もちろん今後長い人生の中ではアンコントローラブルな出来事がたくさん、たくさん出てくると思う。間違いなく。
一人の人間の力というのは本当にちっぽけなもので、どれだけ力のある人でも結局アンコントローラブルなことの方が多いと思う。(親戚関係とか、あとは病気や怪我はどうしようもない)
だた、ひとつだけ言えるのは、コントローラブルにできるものはコントローラブルにしておきたい、ということ。
私は一生働いていたいし、そうすると今後の人生の5/7は働いていることになるから、働く環境は自分の好きに選べるようにしたい。働く環境がハッピーになれば、私の人生もだいたいハッピーだ!
2年の間、コントローラブルな仕事を無意識に探し求めてふらふらしてきたけども、ついにそれにぴったり来る仕事を見つけることができた。
今後もし、エンジニアがコントローラブルな仕事ではなくなったとしたら、そのときはそのときでまた新しいものを探すと思う。でも、それまでの間は全力投球する!!!!まあ、今後十数年は大丈夫だといいな。。。。。