朝からスコーン

考えたこと。やってみたこと。やってみたいこと。

『聲の形』、『君の名は。』

私、左右で目の大きさが違います。

えーっと、右目の方が大きくて、左目の方が小さい。どっちかが一重?んでどっちかが二重。

今日はいつも以上に差が大きくて、「あー、そういえば私左右で目の大きさが違ったんだよなあ」と実感していました。

 

『聲の形』、観たい。こえのかたち、と読みます。

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大学時代に、漫画読んでました。ちょうど卒業するころに完結。めちゃ良かった……

心や気持ちの描写が独特だった印象。登場人物が「登場人物」っぽくない。普通の漫画だったら入れてこないような、リアルな台詞やつぶやきが多かった。心の揺らぎ方も、ごくごく普通のそこらへんにいる人、という感じ。そういうところが好きでした。

 

comicoの『こいいぬ』にもそういったリアルさを感じます。劇っぽくないこういう漫画、好きです。

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それにしても、『聲の形』の映画版、本当に絵がきれい。話の流れは全部知っていても、それでも観たいなあ。ふらっと。

同じく若い男女のきれい系アニメ君の名は。がちょうど市場を席捲中なので、それがちょっと辛かったかもね…

 

そうです。君の名は。観たいですね。

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間違いなく観ますね。

『シンゴジラを観たときにPVが流れていて、「あー、観たいなー」と思って早1ヶ月。本当はこの土日に行こうと思っていたのですが、まさかの映画館が予約でいっぱいで、来週までがまん。。。

お昼上映が3つとも満席って、今まで見たことないっすよ。。。

ま、楽しみにしておきます。

 

そんなこんなで9月ももう終わりか。そろそろもう秋なんだな、と気候からしみじみ感じています。こうして月日は回っていくのですなあ。

言語と文化

前回の記事にも書きましたが、「ある言語を別の言語に言い換える」という意味での通訳・翻訳は私が生きているうちにAIに代替されるでしょう。

言語学習とは膨大な知識と経験のインプット⇔アウトプットの繰り返しであることを考えると、これはどうにも将来代替されてしまう気がしてならないのです。

 

ただ、それでも人間が対応しなければならない分野は残ります。

自分の日本語が完璧な英語に訳されて相手に届けられる未来が来たとしましょう。そんな未来においても尚人間がしなければならないものはなにか。それは異文化への適応です。

 

"Hi."は「やあ。」ではありません。

道で知り合いにばったり会ったとき、駅の窓口でチケットを買うときに会話の呼び水として使うのが英語の"Hi."です。英語圏に住むと毎日必ず使う言葉です。

一方で「やあ。」はどうでしょうか。正直私はこの言葉をおふざけ以外で使ったことはありません。誰かが使っているのもほとんど見たことはありません。物語の中でしか使われることのない言葉、それが私の「やあ。」に対する認識です。

 

"senior"は「先輩」ではありません。

"senior"は「年上の人」という意味はありますが、だから敬語を使う、だからseniorは目上、といった意味は含みません。

一方で「先輩」は「年上を敬う」という文化の枠組みの中にあって初めて機能する言葉です。先輩は無条件に敬うべき、先輩には必ず敬語を使う。

 

このように、言語は習慣や文化という文脈の中にあって初めて機能するものです。ただ似たような「意味」の言葉に変換すればよいというものではありません。

こうした空気のようなものは、AIがどれだけ発達しても人間が適応していかなければならない部分だと思っています。

 

商談や国際会議の方がかえって通訳の機械化が容易かもしれません。共有している前提がかなりしっかりしていそうですから…

 

ところで、『未来に先回りする思考法』という本において、テクノロジーの本質的な特徴は次の3つに絞られると書かれています。

  1. 人間を拡張するものであること
  2. いずれ人間を教育しはじめること
  3. 掌からはじまり、宇宙へと広がっていくこと

2.についてわかりやすい例は「貨幣」でしょうか。物々交換を容易にするために生まれた「貨幣」は、いつの間にか「便利なツール」から「人間を縛るもの」へと変貌を遂げました。人間は「貨幣」によって教育されたといえます。

 

となると、AIによる「通訳・翻訳」が可能になったとしたら、人間の使う言葉もAIに解釈されやすいように変化していくのかもしれません。あたかもAIに教育されるかのように。

 

未来に先回りする思考法

未来に先回りする思考法

 

 

通訳がAIに代替される未来

今年のシルバーウィークは歯抜けの連休ですが、旅行など特に行かない身からすればむしろこちらの方が嬉しいですね。今日はお仕事、明日はお休み!

先週の土曜日にようやくウェディングドレスも決まりまして、諸々準備も進んでいるなあと嬉しい限りでございます。

 

ところで昨日聞かれたのですが、「AIが通訳をできるようになったらどうするのか」。言葉ってそう単純なもんじゃないから、しばらくは無理っしょ…と答えてみたものの、いや、今後十数年であっさり可能になってしまうのかもしれませんね。

技術の進歩は常に侮ってしまうものですから…

膨大な音源と資料と文章と経験をインストールして、その中から最適解を見つけ出す…これが通訳のやっていることだと思うのですが、となるとむしろAIの方が強いですよね。彼らは人間を遥かに超える速さで大量にインプットできるのですから。

 

ではさて、私は何を仕事にすればよいのでしょうか。勉強するのが好き(語学も知識も)、人の援けになるのが好き、ということで思いついた通訳という選択肢ですが、通訳が将来不要になるとしたら私は何で役に立てるのでしょうね。

これからはちょっとこのことを頭の片隅で時々考えてみようと思います。

さむっ

朝起きたときに「さむっ」となったのはいつぶりでしょうか…蝉も完全に姿を消し、すっかり秋になったんだなあ、と感慨深い朝です。

 

職場の女性の語彙が面白くて好きなんですが、昨日はいかにも台風らしい天候を「テレビに出てくるようなわざとらしい雨」と表現されていたのが面白かった。ま、電車が止まらなくてなによりでした。

 

天気予報を眺めたときに「20日〇時」と書いてあるのを見て、「?」となっていましたが、そうでした、昨日はもう20日だったのでした。ついでに言うと今日は父の誕生日でした。還暦、おめでとうございます。

 

朝に夜に、よくYouTubeを流しているのですが、やっぱりブラームスがほんとに好きだ。またいつかバイオリンに時間を避ける時期が訪れたら、演奏仲間に恵まれたら、室内楽をやりたい…

ブラームスの四重奏1番、2番、(3番はやったことある)、あとは弦楽五重奏2番、クラリネット五重奏も!全部弾いてみたーい。

現役時代にあれだけやったのに全然飽き足りておりません。最後の一年、血迷ってビオラなどせず、そのままバイオリン頑張っていればよかった…とまあ、言ってみるだけでそれほど後悔はしていませんが。

見切り発車

テーマなし、書きたいことも特になし。

いつも以上の見切り発車で書き始めてみましたさーあ今日のブログはどうなる!?

 

今日は今年度初鍋でございました。みんなのきょうの料理のレシピ。

www.kyounoryouri.jp

大学生のころから気になりつつ卒業から2年経ってようやく作るにいたりました。

旦那が滝のように汗を流しながら「うまいうまい」と食べてくれたのでよかった。幸せです。安いからこれからも作るだろうなー にらとえのきともやしとひき肉。主婦の味方であります。

 

今年は本当に涼しくなるのが早いですね。ちょっとびびる。ふんふーんって歩いてたらいつのまにか秋さんのおうちにお邪魔してしまってたような。

8月最終週に急に涼しくなったときはこのあとまたどうせ暑くなるのだろうなーーと思ってたけど、案外そうでもなかったですね。さみしーーー

 

 

小説週間

珍しく小説をたくさん読んだ1週間でした。

 

以前ブログにも書きましたが『コンビニ人間』。 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 面白かった。あっさり読める軽さの中に、社会の根本に対する問いかけが込められていました。

 

 

次は『危険なビーナス』。 

危険なビーナス

危険なビーナス

 

書店で平積みしてあるなーと思っていたら父がすでに読んだと聞いたので、おさがりを読ませてもらいました。

感想は…うーん。そんなもんか、ってぐらい。東野圭吾さんはプラチナデータも読んだことがあるのですが、うーん、そんなに面白くない…

なんというか、展開が薄いというか、平面的というか……

旦那いわく、『白夜行』は面白いそうですが。

 

 

あと『カエルの王国』

カエルの楽園

カエルの楽園

 

 著者:百田尚樹、そんで帯を見た時点で大体中身の予想はつきますよね…予想はつきつつ、下世話な2chまとめサイトを興味本位で覗きたくなるような感覚で、読んどきたいなーと思ってました。

これもちょうど父が持っていたのでおさがり。

なんというか、これで印税が入ってくるんだから百田氏はいい身分なもんだな、というのが率直な感想。内容は、端的に言えばザ・「右翼」。憲法9条、アメリカ、日本、韓国、中国、それぞれが露骨に投影されたものが登場します。

あまりに露骨で、「これを小説と呼んでいいのか…」と思えるレベルです。ただ、一部は同意できる点もあったので、「まあ、そうだよなあ…」といった読後感でした。はい。

 

んで、今日一気読みしたのが『罪の声』

罪の声

罪の声

 

 これが本当によかった。あまりにも没入してしまったため、読了後しばらくは「今私はモニター越しに世界を眺めているんじゃないか」と錯覚するほど、現実世界に戻ってこられませんでした。

実際に起こった「グリ森事件」をモデルとした小説。どれだけ緻密な取材をしたらこんな本が書けるんだろう、と不思議になります。『危険なビーナス』で感じた物足りなさを補って余りある内容でした。

ちなみに私が読んだきっかけは佐々木俊尚さんのツイート。

 

 取材の過程が詳細に描かれているので、職業:記者の方が読むと一層面白いだろうなと思いました。

 

 

さて、お次は橘玲さんの『タックス・ヘイブン』が待っています。楽しみ。

G型L型

 

「G型大学、L型大学」という言葉を聞いたことのある人は多いと思う。日本国内の大学をグローバル型とローカル型に分けて、それぞれで全く異なる教育を行おう、という考え方だ。数年前に冨山和彦氏によって提唱されて以来、教育業界のみならず各方面で議論を引き起こしている。

G型大学、L型大学という区分とその教育内容に関しては、反対意見多数の印象が強かった。ただ、この本については「なるほど、確かに!」と言える人が多いのではないだろうか。

なぜローカル経済から日本は甦るのか (PHP新書)

なぜローカル経済から日本は甦るのか (PHP新書)

 

 昨今なににつけても「グローバル化」の大合唱であるが、それは違うんでないの、というのが本書の言うところだ。副題は「GとLの経済成長戦略」。経済は、GとLに分けられるという話。

 

Gの典型は、情報産業、IT系。小売り業やサービス業ほど人数を必要とせず、場所にもとらわれない。Gの産業が成長しても、小売り業ほどは地元に雇用を生み出さない。しかし世界中にサービスを展開することができる。

Lの典型は、小売業、バス会社など。人員を必要とするので各地域に雇用を生み出す。地域の特色に合わせ、地域に根付いた産業を展開する。地域ごとに事情が異なるため(最適化にコストがかかるため)、大手企業が幅広く展開することは難しい。

 

リーマンショックなどの大不況の影響を、G型経済はモロに被る。一方でL型はG型ほど被害は大きくない。大不況であっても、人は日々スーパーで買い物をするし、バスも利用しなければならないからだ。

 

私が「へ~~」と思った数字はこちら。

規模の経済性やネットワークの経済性が効くグローバル経済圏の産業は、おおむね上位数社に寡占、収れんされる。世界の上位10社程度まで広げれば、マーケットシェアの8割以上を占めてしまう。

たとえばスマートフォン(スマホ)業界は、首位の韓国サムスン電子とアップルの2社で半分近い 46.6パーセントを占める。上位5社までに広げると、60パーセントを超える。半導体DRAMリチウムイオン電池、液晶なども同じような結果になる。自動車業界にしても、上位10社を合わせたら7割から8割にもなる。

一方、小売業は違う結果になる。小売業はウォルマート、カルフールイオングループセブン&アイなどのイメージからグローバル経済圏の巨大企業だと考える人が多い。しかし、小売業は世界の上位10社を合計しても、全世界の小売業売上高の10パーセントにもならない。日本国内を見ても、セブン&アイイオングループを足しても10パーセントに届かない。 

 

本書に「G型、L型大学」の言及は無かったが(たしか)、こうした経済圏に合わせた大学を作りたいということなのだと思う。それならかなり納得できる。

今の大学は広く浅く機会を与えようとしすぎていて、結局目的がぶれて何もできていない印象を受ける。あまりに等しく教育を与えようとしすぎていて、結局のっぺりひろがってしまっている。

だったらある程度大学としての目的を絞り、その目的を共有できる学生に入ってきてもらう、というのは非常に妥当な話ではないだろうか。本書でも言及があったが、GとLはどちらが上、下というものではない。

地域の特色に合わせて堅実に展開するビジネスと、世界を相手にスピード感をもって展開するビジネス。その違いだけである。

 

スコーンにはわからない難しい言葉もたくさん出てきたが、基本の構造がシンプルだったので納得しながら楽しく読めた。この人の本は確か3冊目だが、理路整然と新しい価値観を展開してくれるので面白い。またG型大学、L型大学関係の本も読んでみようと思う。