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朝からスコーン

考えたこと。やってみたこと。やってみたいこと。

TECH::EXPERT(テックエキスパート)に通います。

5月から、TECH::EXPERT(テックエキスパート)に通うことにしました。

 

Fbの広告とかでちょくちょく見るTECH::CAMPの、よりガチなやつです。

 

TECH::CAMP

tech-camp.in

 

TECH::EXPERT

tech-camp.in

 

5月から10週間プログラミングを勉強して、そのままTECH::EXPERTのアドバイザーから仕事を紹介していただき、エンジニアとして転職します!

入りたいと思っている企業は今あって、ただむっちゃ難しそうなんでがんばって勉強してます。

 

なぜTECH::EXPERT(テックエキスパート)?

なぜTECH::EXPERTに参加しようと思ったのか。

二つの観点から書きます。

 

なぜエンジニア?

まずはそもそもなぜエンジニアを目指すことにしたのか?

最大のきっかけは、ニュージーランドで移民が一番ビザを取りやすい職業がITエンジニア」という事実でした。一昨年に夫が友人とNZへ旅行してNZを非常に気に入って以来、「いつかは二人でNZに行きたいねー」という話をしていました。移住するにあたっての最大の障壁はビザ。色々と調べているうちに、NZでビザを取るならITエンジニアが圧倒的に有利ということがわかったんです。

それに、今後の社会の動向と自分たちの人生を考えたときに、ITエンジニアであればより主体的に仕事や生活を選んでいけるのではないか、とも思うようになりました。NZに本当に行くかどうかにかかわらず。

2人とも文系出身だったので当初は抵抗があったのですが、色々と考えた末、今年2月ごろに夫婦そろってエンジニアへ転向することに決めました。(夫は転職して4月からIT企業で働き始めました)

 

なぜTECH::EXPERT?

プログラミングブームともいえる昨今、数多のプログラミング教室が競合していますよね。その中でなぜTECH::EXPERTを選んだのか。

 

最大の理由は、期間の短さ勉強時間の多さです。「短期間で最大限実力をつけ、即戦力に近いエンジニアとして転職したい」。これが、私という消費者のニーズでした。

そしてこれに最も合致していたのがTECH::EXPERT。ほかにもDIVE INTO CODEやTechAcademy、CodeCampなどのサービスを検討しましたが、いずれも働きながらの通学を前提にしていたり、オンラインのみでの開講だったりしました。

 3ヶ月間、週6日10時間プログラミングだけに集中して、その後確実に転職できる。そんなサービスはTECH::EXPERTだけでした。

 

 

コース開始1ヶ月前の現状

現在、コース開始のちょうど1ヶ月前です。

受講のための選考には3月に合格しており、料金を支払い次第カリキュラム(TECH::MASTER)にログイン可能になるため、5月のコース開始までの2ヶ月ほど独学の時間を確保できています。

この1ヶ月で、

 をざっとやってきました。カリキュラムが非常にわかりやすいので、メンターの方無しでもひと通りは終えられそうです。

今でカリキュラムの半分くらい。残りの半分で、SQLとかAWSとかその他諸々、フルスタックwebエンジニアたり得るだけの知識を身につけるようです。

 

私の予定としては、コース開始までにカリキュラムをひと通り終えてしまい、開始後は最終課題(webサービス作成)とオリジナルアプリ作成に注力していくつもりです。

 

コース開始後〜転職まで、ちょくちょくレポートしていこうと思います。

 

 

落合陽一『超AI時代の生存戦略』

年齢というものを、ちらちらと気にするようになってきた。

 

たとえばこちら、3月11日に開かれたエンジニア向けのイベント。

(東京はこういう機会がたくさんあるのが本当に羨ましい)

atnd.org

 

ここで登壇されている落合陽一さん(@ochyai)は1987年生まれ。つまり私と4つ違い。

ちょまどさん(@chomado)に至ってはおそらく同い年。

25歳なんて、調べればいくらでもすごい人は見つかるんだろうけど、とりあえず最近の私が目標にしているというか、気になっているのはこのお二人。

お二人とも自分の世界をひた走っている。本当にかっこいい。

 

 

落合さんの文章

落合陽一さんの超AI時代の生存戦略を読んだ。

超AI時代の生存戦略 ~シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト

超AI時代の生存戦略 ~シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト

 

 

この人の本を読むのは『これからの世界を作る仲間たちへ』に続いて2冊目だ。

これからの世界をつくる仲間たちへ

これからの世界をつくる仲間たちへ

 

 

この人の文章は独特だなと思う、そして好きだ。

普通、本を書くとなると、「読者に伝わりやすいような文章を書こう」と努力するようなイメージがある。

でもこの人は違って、自分の頭の中から湧き出てきた言葉をそのまま打ち込んだような文章。

だから表現の飛躍とかも多くて、ついていけないことがままある。よく聞く単語でも落合nizeされた意味で使われていることが多くて、頭を柔らかくしながら読むことが求められる。

 

終始一貫して、自分の言葉で語っている本。既存の枠組みを感じさせない文章。

しかしその言葉は実は膨大な量の知識・既存の枠組みを解釈してきた経験値の上に成り立っている、そういう奥行きを感じさせられるところが好きだ。

 

 

ブルーオーシャン戦略

落合さんは、ブルーオーシャンをこう説明する。

ブルーオーシャンな考え方というのは、他人と違うことをやっていくということを基本にすることだ。また、自分しかそれをやっていないけれど、それが正しいと信じることだ。つまり、ブルーオーシャン的な思考をするのは、競争心とは真逆の考え方である。(注・太字筆者)

競争心を持ち、勝つことを繰り返すのがレッドオーシャンだとしたら、ブルーオーシャンは、黙々と、淡々とやることだ。

そしてここで面白いなと思ったのが、「競争する」というゲームが決まってしまうと、データさえあれば機械の方が強くなってしまう、という話。でも、「競争する」以前の、何をやるか決まっていない状況であれば人間の方が強い、という。

そうしたあり方を追求する上では競争心は邪魔になってしまう。だから競争心なんて捨てちゃえ、自分が思いついたのと同じ事例がすでにあったなら、そこにどういった価値を足せるかを考えれば良い、とな。

 

 

人間vs機械の先へ

「機械がどれだけ進化したって人間には人間にしかないものがある。感情とか、創造力とか(ひとくくりに『人間性』と言われたりもする)。」という意見には消化不良感があって、というのは「じゃあその『感情』やら『人間性』とやらが全て解析し尽くされてしまって、それを機械やプログラムで再現できるようになったら『人間』って何になり得るんだ?」といった疑問を常に呼び覚ましてしまうからであった。

この不満への解決策を提示してくれているのが本書だ。

(前略)「人間が人間らしく生きる」という概念は、近代になって発達した概念だ。宗教の持つ人間定義が近代以後に求心力を持たなくなり、それによって発明せざるを得なかったのである。

そもそも現代の「人間らしさ」という概念は近代以降に発明されたものであり、機械で「人間らしさ」の要素を再現可能となり得る未来が見えつつある今、「自ら思考するゆえに人間である」の次の段階へと、「人間」をアップデートする必要がある、ということだ。

(前略)主体的であるという人間性、自ら思考するゆえに人間であるという考え方は、近代以降に獲得されたものなので、今、次の主体なき人類の時代に移ってきているとも言えるわけだ。

 

 

量をぶち込む

落合さんのTwitter(@ochyai)を見ていると、とにかく研究も展示も発信も、量がずば抜けている。(睡眠時間の短さも…)

著書や記事を読んでいても、「ほんまになんでも知ってるなあ〜」という感じで、その知識・関心の幅こそがこの人の魅力なのかもしれない、なんて思ったりもする。

背景には膨大なインプットがあるのだろうな、と感ぜられて、実際本人も何かのインタビューで「量です。量。」と即答している。

 

私自身は25歳にもなって、でもこれまでに何もできていなくてさあこれから頑張るかというところで、なんとも情けないんだけれどもやっぱり年齢の近い人の中にこういう図抜けた人がいるというのは本当にありがたいことで、いやあ、頑張ろう、、、と今日もしみじみ思うのでありました。ふいー

 

 

某有名教授秘書を1年やってみた

 

こんにちは。新卒3年目にして早くも3回目の転職を迎えるというなかなかアグレッシブな生き方をしております、スコーンです。

 

1社目は東京の人材ベンチャーで営業とか事務とか、2社目は関西のザ・昭和の中小企業で貿易事務、そして3社(?)目は某国立大教授の秘書(派遣)。そしてこの春、ふたたび転職予定。

 

ここまでけっこう多様な経験をさせていただきました。

 

中でもこの1年間させていただいた大学教授秘書はいろんな意味で面白かったので、忘れないうちにブログに書き出してみようと思います。

 

 

 

 

なぜ教授秘書に?

 

大学卒業2年目です。秘書やってます。

と聞くと、まずはじめに浮かぶ疑問は「??? なんで??」だと思います。

 

普通に企業に就職してそこで働き続けて…となると、まず出てこないこのルート、「大学教授秘書」

 

まずはなんでこの仕事をすることになったのかを説明します。

 

 

「2社目をクビになったから。」端的に言うとこれが理由です笑

 

1社目のベンチャーをやめて2社目の貿易事務に就いたのは、「英語を使った仕事をしたい」という理由からでした。

 

望み通り毎日英語をバシバシ使う仕事で、社長に謎の嫌がらせを受けながらもぼちぼち楽しくやっていたのですが、ある日突然まさかの解雇!!!

 

まあここは話すと長くなるので割愛するとして、とりあえず次の職を探すことになったわけです。

 

実は当時、将来通訳になりたい、土日だけでも通訳をしたいという思いからたまたま通訳派遣会社に登録していました。新しい仕事を探すぞーってなったときに、その通訳派遣会社から「英語を使う秘書」という内容で紹介していただいたのがこの仕事でした。

 

某有名教授?

私は秘書をするまでは存じ上げなかったのですが、その分野では非常に著名な方だそうで、テレビなどにもちょくちょく出てらっしゃいます。

ど素人の私には研究内容がさっぱりなのでどの程度すごいかはよくわからなかったのですが、企業の方やほかの研究者の方の口ぶりからすると、世界的にも高く評価されている方のようです。

年80回の講演、というのはその一端を表しているのではないでしょうか。

 

 

何をするの?

具体的に何をするの?というのはこの1年で何度も聞かれました。

何をしていたかというと…

  • 先生の講演管理(国内外)
  • 先生の出張管理(国内外)
  • 研究室内の雑務

 です。

 

講演管理は、企業/自治体/教育機関等から先生にきた講演依頼を、自分が先方と先生の間に立って窓口となる仕事です。謝礼はいくらか、日程はいつか、講演内容はなにか、必要なものはなにか、旅費はどちらがどれだけ負担するのか、請求書はどうするのか、といったことを先方と先生の両方に確認していきます。

そして講演が終わったあとには、実際にかかった交通費を計算し、先方に請求して振込日を確認。次の講演依頼につながることもあります。

 

出張管理は、講演や企業との打ち合わせ、大学の研究での出張など、出張の目的を確認し、交通費をそれぞれの出張先へ請求したりします。

また、海外出張の際は飛行機の予約やビザ取得、先生が現地で楽に行動できるようにするためのスケジュール表作成もします。

 

研究室内の雑務は、ザ・雑用という感じで、来客時のお茶出しや備品管理、必要に応じてアスクルで発注などです。「ザ・雑用」と書いてしまいましたが、実は私このお茶出しが大好きなんです。

 

 

お茶出しの楽しさ

前職の貿易会社時代に、初めてお茶出しというものを経験しました。

 

典型的な中小企業だったので、来られるお客様はおおむね銀行の営業マン、税理士さん、社労士さん、そして取引先。

 

こうした方々にお茶を出していました。そしてそれが楽しかった!全部大学までじゃ見たことの無い世界なんですよね。

 

小さい会社だったので社長とお客さんが1対1で話しているところにお茶をスッと出していくわけです。こういう雰囲気なんやな~とか、なんかよくわかんないけどこんな話するんやな~とか思いながら。

 

それと夫が銀行の営業マンだったので、こういう風に営業してるんかな~がんばれ~と思いつつ営業さんに「今日はほんまに寒いですね~」とかちょっと話しかけてみたり。

 

 

そんで、教授秘書。

このお茶出しは、もっと面白かった!

なんせ有名人ということでお客さんがめちゃいろんなところからいらっしゃいます。国内外のテレビ・雑誌・ネットメディア、研究者の方、企業の方、芸術家の方、とかとか…

BBCとかthe guradianとか、自分がいつも読んでいるメディアの取材が来たときは私の中のミーハー魂がこっそり爆発していました笑 

他にも、なんかめっちゃオーラ出てる人やな…って思ってググったら普通にwikiに載ってる人だったり、Twitterで個人的にフォローしている人から研究室へ電話がかかってきたり。。。

 

「この世の中にはいろんな仕事をしている人がいて、そしてみな一人ひとり人間なんやな」っていうのがこの1年お茶出しをしていてしみじみと思ったことでした。ほんま、面白かった。

 

 

 テクノロジーへの興味

エンジニアになるべく、この5月からTECH::CAMP EXPERTというエンジニア養成・就職コースへ通うことを決意したスコーンですが、1年前の自分がこの決意を聞いたら驚きのあまりひっくり返ってしまうに違いありません。

小学校のころから算数も理科も大嫌いで、センター試験の数学ⅠAでまさかの47点を叩き出したスコーンは、常に「テクノロジー」なるものから距離を置いて生きてきました。

「理系っぽいもの」はとにかくわからない、好きじゃない。そんな凝り固まった頭で24年間生きてきたのですが、それがこの1年でガラッと変わりました。

 

きっかけは、先生の著書です。

せっかく秘書するんだし先生の本も読んでみようと、就職してすぐに著書(サインしてもらって嬉しい)を読んでみました。これが大きな転換点になった。

 

研究は、手段であって目的ではない。僕は『人間とはなんなのか』が知りたい。今のところそれを知るための最良の手段がこの研究だからこの手法でしているだけであって、ほかにもっと良い手段が見つかればすぐにでもこの研究はやめていい。」

 

といったことが書いてあったんです。

先生は昔芸術家を目指されていたこともあって、ただ機械をいじるのではなく、常に哲学的な問いを根っこに持ちながら研究をされていた。ここに衝撃を受けたんです。

ああ、そういうもんなのか、と。

 

この考え方に触れて、「理系っぽいもの」に対して勝手に感じていた24年来の壁が、スーッと消えていきました。

 

 

なんでもできる人になりたい

 去年通訳を目指していたのも、今エンジニアを目指しているのも、「なんでもできる人」への第一歩、という気がします。

 

「なんでもできる人」って言うとなんだか語弊がありますが、つまるところ「自分が『あ、なんか面白そう』『あ、なんか知りたい』と思ったことを、ありとあらゆる手段で探求できる人になりたい」という感じでしょうか。

 

『サピエンス全史』を書かれたユヴァル・ノア・ハラリ氏はまさにそんなイメージです。地学・生物学・歴史学等、まったく壁を感じさせずに様々な学問を縦断・横断しつつ人間の旅路を巡るのが『サピエンス全史』という本でした。

 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 

 

 

最近ホットなメディアアーティスト、落合陽一さんも分野の壁を感じない研究をされている印象です。 

www.sensors.jp

 

こういう方面へのアンテナが伸びた1年でした。

 

 

教授秘書、よかった。

2社目をいきなりクビになったときはどうなることかと思いましたが、いやはや、クビになって本当によかった。後年振り返ったときには、この1年は非常に大きな転換点となっているはずです。

 

この1年の学びは、大きくわけて2つ。

 

  1. 学びに壁なんて無い。したいことをすればいい。
  2. 有名人も偉い人もメディアの作り手もみな人間笑

 

やー、ほんとにおもしろい1年でした。

 

 

これからの1年はいよいよ、手に職をつける第一歩を踏み出すことになります。

がんばるぞーーーーーーー

 

 

 

1年間おつかれさま、ということで先生・他の秘書さんからいただいた時計。めちゃくちゃ嬉しかった…!大事にします。。。

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結婚して1年が経ちました。

 

2017年、もう3月!しかも下旬!

 

もう今年も4分の1が終わりか~~~~はやいはやい

 

 

はい、そんなこんなで結婚してから1年経ちました。

ハヤイモンダネ。

 

 

後年見返したときに面白いんじゃないかな~という期待を胸に以下ぽちぽち書いてみる。

 

さー、新婚1年目を振り返ります。

 

 

 

意外と普通

 

いや、ね、 両家顔合わせとか引っ越しとか入籍とか転職(私)とか結婚式とか新婚旅行とかイベント盛りだくさんだったのに言うのも変な話なんですけどね、意外と普通

 

何が普通かっていうと、うーん…

 

2015年1月「まだ学生です。卒論出しました。」←うんうん

2016年1月「転職して関西帰ってきました」←そうかそうか

2017年1月「結婚して関西で暮らしてます」←そうかそうか

 

 

と軽く流せる程度には普通です。

 

 

やーね、前述のとおりのイベントまみれで出費もえらいこっちゃでしたからね、全然普通の1年じゃなかったんですけど、まあ良い意味で今の状況が日常として馴染んだのかなあ、というところです。

 

いやあしかし、この「普通」というものがどれだけ有難く、幸せなものであるのかを日々かみしめてもいます。

 

 

頭痛がひどいときには「頭痛くなかったころってめちゃくちゃ幸せやったんやな…」、鼻炎がひどいときには「鼻が普通に機能してたころってめちゃくちゃ幸せやったんやな…」と思い、それと同時に今ここにある「普通」を大事にしよう、いや、ほんとに大事にしよう、と決意を新たにします。

 

 

 

 

 

一人なら習慣、二人なら文化

 

この1年で変わったこともたくさんあります。

 

そりゃ、生まれも育ちも違う人間が二人、一つ屋根の下で過ごすのですから、当然お互いどこかしら 習慣を変形させていくことになるわけです(ちょうどスライムのように)。

 

「一人なら習慣、二人なら文化」って私が思いついたのかどこかで聞きかじったのか定かではないのですが、もし私が思いついた言葉なのならけっこうやるやん私。←

 

これ、本当にそうだと思うんです。この1年でしみじみそう思いました。

 

この1年で私はガスの元栓を閉めるようになって、カレーとかを一晩置いておくときに蓋をするようになって、牛乳は3日以内に飲み切るようになりました。

 

ほかにも小さな変更を(自分でも気づかないうちに)たくさん加えてきました。

 

そして夫もたくさんの変更を重ねてくれましたし、重ねてくれたんだと思います。

 

 

これは別に「合わせよう」と意識するものではなくて、「互いにとってより快適な生活を創るための小さな一歩」という表現がしっくりくる気がします。

 

 

人と関わる、というのはやっぱりすごく面白いことで、家で、仕事で、趣味で人と関わるたびに本当にいろーんなことを考えます。

 

大学生のときは固定されたメンバーと四六時中顔を合わせるという環境だったのが、今はずっと多様な人間交流となっています。考えることもずいぶん変わった気がします。私という人格の根っこはずっと同じではありますが。

 

とまあ、人との関わりを考えるという点でも、結婚というのは非常に興味深いです。

 

日々を生きている自分と、それを一歩引いたところから眺めながら観察している自分。面白いです。

 

 

 

「パパッと適当に作る」ができるようになった

 

私の方が就業時間が短いこともあって、ごはんは基本的に私が作っています。

 

いやーーーーほんとに上達しました。

あわあわしなくなった。

料理してるときの頭の中がかなりすっきりした。

 

朝ごはんを週6日、夜ご飯を週5日作っているとすると、この1年で11×52= 572回(!!)も料理していることになるわけです。

 

そら上達もするわw

 

自分の中で型が確立しつつあって、基本的な料理なら初見レシピでもスムーズに作れるようになりました。

 

上達、うれしいな~

 

 

 

 

味覚が変わった

 

どーでもいいんですけど、私、大学入ったときは今より12kg太っていました。

 

ジャンクフードと外食ばっかりで、18年間けっこうひどい食生活を送っていました。

 

料理らしい料理がほとんど出てこない家庭で育ったので、お腹すいたらとりあえずインスタント、みたいな。

 

当然いわゆる家庭料理(卵とじとか煮物とか煮びたしとか魚の煮付けとか)はもうほとんど食べたことなくて、味のイメージもよくわからなかった。

 

インスタントと外食で育ったから、味濃いめカロリー多めLOVEの舌でした。

 

 

一方夫は対照的に野菜多め味薄めカロリー低め家庭料理育ちのようで、この1年夫の舌に合いそうな献立を模索するうちに、自分自身もかなーり夫寄りの味覚になりました。ほんと。

 

昔は肉も炭水化物もいくらでもカモン!って感じだったんですけど、今の私は割とすぐにおなかいっぱいになりますし、3食とも炭水化物を食べると若干気分が悪くなります。

 

献立も最初は肉中心で考えていたのが、今は野菜中心に考えるようになっていて、あ~~進歩したな~~いえーい~という感じ。

 

一緒にいる人の影響というのは思っていた以上に大きいんですな。

 

 

 

 

 

毎日楽しい

 

まあよーするにこれです。

 

毎日楽しい。

 

なんなんだろ。ほんとに楽しい。

 

そりゃ、しょーもないことで1日1回くらいはプリプリ怒ったりはするんですが、それでも朝晩で1回ずつくらいは「あっはっは!」って笑ってる気がする。

 

学生時代も「仲良いよなー」とか勝手に思ってましたが、この1年でまた一段と仲良くなりました。

 

「気心の知れた仲間」が夫、というのは本当に素晴らしいことです。

 

 

 

去年もたいがいイベント尽くしの1年でしたが、これからの1年はそれ以上の大 転 換になる予定です…!!

 

 

またそれについてもぽちぽち書きますんで。

 

 

 

 

 

いやーほんと、いつもみなさんありがとうございます。

 

これからも、夫婦ともども末永くよろしくお願いいたします~~

 

 

 

 

 

人類みな自分大好き

 

『こうすれば必ず人は動く』というかのD.カーネギーの名著があると聞き及び、ちょうど今月から始めたkindle unlimitedの対象(=無料)だったので、通勤がてら読んでみた。

 

amazonレビューは4.5。

カーネギーの教えを立体的に学びたい人にはお勧め。」

「殺伐とした現代にこそ、多くの人に読んでもらいたい。」

 

 

なんて書いてあるものだから、どれだけありがたい言葉が並んでいるのかと思ったら。

 

なんのことはない。

 

 

「人類みな自分大好き」

 

要するにそういう話である。

 

 

 

 

 

人間はあまねく自分にしか興味がない。

 

自分の何に役立つのか。

自分に何をもたらしてくれるのか。

自分のどんな問題を解決してくれるのか。

 

興味があるのは、そこだけ。

 

 

 

 

認めてもらいたい。

褒めてもらいたい。

感謝されたい。

信頼されたい。

何かを達成したい。……

 

人間は誰しもそうした願望を抱いている。

 

 

相手のそうした願望を率先してかなえていこう、そうすれば円滑な(=回り回って自分にとっても有益な)人間関係を築けますよ。

 

これこそが、本書において通奏低音的に流れる基本理念である。

 

 

 

……と、知った風な顔で書いてみたけども、実際学ばせていただくことは本当に多くて、とりあえず今日一番刺さったのは「自分が正しいことを証明したい、という欲求にかられるのが人間の常だが、それを相手に証明したところで相手にとってはなんの利益にもならない」っちゅー話でした。あちゃーー、耳が痛い笑

 

 

読書ってのはほんと、読むごとに新しい視点を与えてくれるから楽しいもんです。

 

 

 

 

勝負することがこわい

 

 

受験生の弟が、2年(3年?)連続で第一志望の大学の入試をすっぽかす、という出来事があった。

 

(もう1年前のことだけど)

 

彼はその後、併願していた大学に2浪の末入った。

 

 

 

すっぽかそう、と決めたときに彼がなにをかんがえていたのかは想像することしかできないけれど、もし「勝負することを恐れて、逃げた」のであれば、その気持ちはなんとなくわかる気はする。

 

 

 

 

正しくあらねばならない

 

両親の教育ゆえか環境ゆえか、われら3姉弟は「こうあらねばならない」「正しくあらねばならない」という一種の強迫観念のようなものが人よりも強い気がする。

 

 

たとえば妹は、昔ピアノのレッスンに通っていたときに練習不足だからと連絡もなくレッスンを欠席した。

 

たとえばわたしは、昔イギリスの高校に留学するための英語の試験を受けることになったとき、「準備不足だ、実力不足だ、ああ無理だ、落ちたくない…」とこわくなって前日にドタキャンした。

 

 

まあ非常識と言ってしまえばそれまでなんだけれども、なぜそういう行動をとるに至ってしまったかが肝心だ。

 

 

「やるからにはできなければいけない」「正しくあらねばならない」

 

なんかほんとこれに追われてた。

 

 

レッスンに行くからには先週より上達していなければならない。きちんと練習しておかねばならない。

 

お金を払って受験するのなら、合格せねばならない。十分に準備せねばならない。

 

 

 

この考え方は他人にも向けられていて、「あの人ブスなのによくあんな格好できるなあ」「全然練習してないくせによくそんな偉そうなこと言えるなあ」「役員に立候補するならまず校則守れよ…」とかそんなことばかり思っていた。

 

 

でもこの考え方ってほんとにしんどくて、他人に勝手に課した「こうあらねばならない」は何倍にもなって自分にのしかかってくる。

 

 

 

おしゃれするならかわいくなければならない。

 

アドバイスするならめちゃくちゃうまくなければならない。

 

1回引き受けたならば、間違いなく完璧にこなさなければならない。

 

 

これって心のメーターの針がプラスに振れているときは強力な着火剤になってくれるんだけれども、いったん針がマイナスに振れてしまうと、ガチガチにしばられて身動きがとれなくなってしまう

 

 

 

 

「勝」「負」

 

わたしは勝負っていう、「勝」と「負」にすっぱりわかれるものがどうにも苦手だ。

 

 

夫が「卓球部時代の試合楽しかったでー」と言っているのを聞いて、素直に尊敬してしまった。

 

まあ小中高大とずっと文化部で勝敗と縁の無い生活をしてきたから、慣れの問題もあるっちゃあるのかもしれない。

 

 

いずれにせよ、わたしにとって勝負の「負」はお前はだめなやつだ、劣っている、と突きつけられるに等しくて、「正しくあらねばならない」否、「常に正しくありたい」身にとっては耐えがたい。

 

 

 

 

耐えられないもの

  

ずっとずっとずっと入りたくて、念願かなって入団できた京大オケは、入って3年で嫌気がさした。そして逃げるようにビオラに転向、留学した。

 

 

 

これって、今ならわかるけど、「下手な自分」に耐えられなかったんだ。

 

 

うまい後輩がたくさん入ってきて、同期たちもどんどんうまくなっていって、自分の指が回るようになるよりも先に耳が良くなってしまって 、弾けば弾くほど、聴けば聴くほど「自分は下手くそだ」という現実に絶望する羽目になった。

 

 

1日7時間、8時間、ただただ「もっとうまくなりたい」という思いだけで練習し続けていた1回生のわたしは、すっかり過去の思い出になってしまった。

 

 

3回生で経験した2度の定期演奏会は、ほんっとーーーに弾きたくなくて、自主練習もほとんどしないまま、演奏会が終わる日を指折り数えてた。

 

 

もう下手な自分と向き合うのは嫌だ、と。 

 

 

 

 

 壁

 

今思えば、あれがいわゆるスランプ、「壁にぶちあたった」というやつだったんだろうね。

 

「焦らず初心にかえって基礎練しようよ」「短く切って何十回も練習したら少なくとも指は回るようになるよ」と、今の私は振り返っておもうんだけど、まあ、なんというか、プライドが高かったんだなあ…

 

 

自分なんてそんな大したもんじゃないだよ~

 

 

  

あの「スランプ」こそががんばり時だったのだろうな。

 

あそこでひとふんばり、それまで以上に練習していれば、もうひとつ上のレベルに達して卒団できていたんだろうな、としみじみ思う。

 

これは学生時代に残してきた、数少ない後悔のひとつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

もしこれからまたなにかに熱中して、そしてその上達の過程でおなじような局面に達したら、今度こそはふんばってがんがん壁にぶつかっていこう、勝負していこう、という小さな決意。

 

 

 

 

 

新しいこと好き

 

なにか新しいことを始めると、たくさんの刺激を受けます。

 

スコーンは、この1年だけでもたくさんの新しいことを始めました。

 

通訳学校、結婚生活、新居生活、新しい職場、レシピ開拓、プログラミング、ブログ、英語雑誌購読、kindle、市民オケ………などなど。

 

 

ポケモンGOリリース時に全速力で飛びついて、でも1週間であきたときにわかったのですが、自分、とてもあきっぽい。

 

 

でもなんかそれでいいとおもうんですよね。

 

自分の感覚としては、とにかくいろんなものに飛びついて弾数うってりゃ、そのうち熱中できるものにであえるんじゃないかなーって。

 

 

はじめたからには続けなければ!!なんてのはしんどいもんね。

 

 

実際、バイオリンとか英語とか料理とかは、長続きしています。

 

 

 

 

 

 

こないだこんなツイートを目にして、「あーなる」とおもいました。

 

 

 

「新しい技術が身についてる感を確実に感じられる」って、あーそれはあるなあ。

 

 

完全な初心者ってかなりしんどいんですが、そんな中だからこそ、ちいさなちいさな一歩でとても幸せになれる。

 

 

そしてこの一歩はいまの上達だけではなくて、自分がこれまでそれなりにがんばってきたものも肯定してくれる。

 

 

「あーーー、そういえばバイオリンも、最初はこんなになんにもわからんかったんよなあ。そんなとこからここまでようがんばったわー」って。

 

 

 

 

でもまだ25才。

 

過去のがんばりに満足するにはあまりに人生のペーペーであるわけでありまして、目下「バイオリン・英語」のスコーン内二大巨頭をがつーんと超えられるものを模索中……

 

 

2016年は存分にふらふらした年だったし、2017年は方向性を定めて地道に足元を固めていきたいなあ。