年齢というものを、ちらちらと気にするようになってきた。
たとえばこちら、3月11日に開かれたエンジニア向けのイベント。
(東京はこういう機会がたくさんあるのが本当に羨ましい)
ここで登壇されている落合陽一さん(@ochyai)は1987年生まれ。つまり私と4つ違い。
ちょまどさん(@chomado)に至ってはおそらく同い年。
25歳なんて、調べればいくらでもすごい人は見つかるんだろうけど、とりあえず最近の私が目標にしているというか、気になっているのはこのお二人。
お二人とも自分の世界をひた走っている。本当にかっこいい。
落合さんの文章
超AI時代の生存戦略 ~シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト
- 作者: 落合陽一
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2017/03/18
- メディア: 単行本
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この人の本を読むのは『これからの世界を作る仲間たちへ』に続いて2冊目だ。
この人の文章は独特だなと思う、そして好きだ。
普通、本を書くとなると、「読者に伝わりやすいような文章を書こう」と努力するようなイメージがある。
でもこの人は違って、自分の頭の中から湧き出てきた言葉をそのまま打ち込んだような文章。
だから表現の飛躍とかも多くて、ついていけないことがままある。よく聞く単語でも落合nizeされた意味で使われていることが多くて、頭を柔らかくしながら読むことが求められる。
終始一貫して、自分の言葉で語っている本。既存の枠組みを感じさせない文章。
しかしその言葉は実は膨大な量の知識・既存の枠組みを解釈してきた経験値の上に成り立っている、そういう奥行きを感じさせられるところが好きだ。
ブルーオーシャン戦略
落合さんは、ブルーオーシャンをこう説明する。
ブルーオーシャンな考え方というのは、他人と違うことをやっていくということを基本にすることだ。また、自分しかそれをやっていないけれど、それが正しいと信じることだ。つまり、ブルーオーシャン的な思考をするのは、競争心とは真逆の考え方である。(注・太字筆者)
そしてここで面白いなと思ったのが、「競争する」というゲームが決まってしまうと、データさえあれば機械の方が強くなってしまう、という話。でも、「競争する」以前の、何をやるか決まっていない状況であれば人間の方が強い、という。
そうしたあり方を追求する上では競争心は邪魔になってしまう。だから競争心なんて捨てちゃえ、自分が思いついたのと同じ事例がすでにあったなら、そこにどういった価値を足せるかを考えれば良い、とな。
人間vs機械の先へ
「機械がどれだけ進化したって人間には人間にしかないものがある。感情とか、創造力とか(ひとくくりに『人間性』と言われたりもする)。」という意見には消化不良感があって、というのは「じゃあその『感情』やら『人間性』とやらが全て解析し尽くされてしまって、それを機械やプログラムで再現できるようになったら『人間』って何になり得るんだ?」といった疑問を常に呼び覚ましてしまうからであった。
この不満への解決策を提示してくれているのが本書だ。
(前略)「人間が人間らしく生きる」という概念は、近代になって発達した概念だ。宗教の持つ人間定義が近代以後に求心力を持たなくなり、それによって発明せざるを得なかったのである。
そもそも現代の「人間らしさ」という概念は近代以降に発明されたものであり、機械で「人間らしさ」の要素を再現可能となり得る未来が見えつつある今、「自ら思考するゆえに人間である」の次の段階へと、「人間」をアップデートする必要がある、ということだ。
(前略)主体的であるという人間性、自ら思考するゆえに人間であるという考え方は、近代以降に獲得されたものなので、今、次の主体なき人類の時代に移ってきているとも言えるわけだ。
量をぶち込む
落合さんのTwitter(@ochyai)を見ていると、とにかく研究も展示も発信も、量がずば抜けている。(睡眠時間の短さも…)
著書や記事を読んでいても、「ほんまになんでも知ってるなあ〜」という感じで、その知識・関心の幅こそがこの人の魅力なのかもしれない、なんて思ったりもする。
背景には膨大なインプットがあるのだろうな、と感ぜられて、実際本人も何かのインタビューで「量です。量。」と即答している。
私自身は25歳にもなって、でもこれまでに何もできていなくてさあこれから頑張るかというところで、なんとも情けないんだけれどもやっぱり年齢の近い人の中にこういう図抜けた人がいるというのは本当にありがたいことで、いやあ、頑張ろう、、、と今日もしみじみ思うのでありました。ふいー