「これからは『個』の時代になっていく」
「『モノ』ではなく『経験・体験』を買う時代が来る」
ここ数年、そういった考えをちらほら見聞きします。
そして私もそう思います。
私の場合、SNSにおける相互レビューを経験することでそう考えるようになりました。
具体例を以下に出します。
Couchsurfing(無料版Airbnb)での相互レビュー
Couchsurfing(カウチサーフィン)という無料版AirbnbのようなSNSサービスがあり、私は京都での学生時代、このSNSを利用して京都に来た外国人旅行客の方を下宿に泊めていました。
確かやっていたのは5か月ほど。その間に計13人を泊め、プラス3人とごはんを食べにいきました。
国籍は、中国、韓国、香港、ドイツ、フランス、イギリス、ポーランド、イタリア、トルコ。
泊めたのは全員女性。男性とはごはんにのみ行きました。
(ここでイスラム教徒の方をとんかつ屋さんに連れていくという大失敗を犯したことは秘密…)
端的に言えば、出会ったことも無い人をいきなり自宅に泊めてあげるサービスです。
そして99%外国人(私の場合比較的慣れているので大きな問題はありませんが)。
「よくそんなことできるね?」
「怖くないの?危なくない??」
これが率直な感想だと思います。
日本はじりじり規制を弱めたりしていますが、それでもまだまだ抵抗が強い印象。
newsphere.jp
この記事から引用。
ゲストの平均利用日数は3.8泊(ブルームバーグ)。したがって、規制の「最低6泊」は大きな打撃となる。
日本での問題は宿泊日数だけではない。不特定多数の外国人が近隣に出入りすることを嫌う住民によって、所有物件の貸し出しを禁止するマンションも出てきている。
じゃあ、ですね。
私はなぜ(一応)「安心」してこのSNSを利用することができたのか。
それは「レビュー」というシステムがあるからです。
これは私(Aya)の家に泊まってくれた人たちが実際に書いてくれたレビューです。
だれかの家に泊めてもらう、もしくは泊めてあげると、その後「良かった!」「ダメだった」と互いにレビューを書くことができます。
つまり、泊まる側も泊める側も悪いことはできない、というわけ。
新しい人から「泊めてください!」というリクエストが来たら、まずその人のレビューを見て、「大丈夫そうだな」と思ったら泊めてあげる。そして良かったら「良かった!」とレビューを書いてまたその人のポジティブなレビューが増える。
そんな仕組みです。
上の記事でもレビューのことが言及されてます。
実際、個人間での部屋の貸し借りというのには双方に不安感が伴う。ただし、Airbnbではホストとゲストが互いにレビューし合うシステムなので、評価の悪いゲストを泊める必要はない。ホストの物件の破損や盗難などの被害をサポートするシステムもある。
ドイツで二世帯住宅の一部を貸し出すアメリカ人のシェーナ・ローラーさんは「台所を散らかしたままとか、暖房をつけているのに窓を開け放したまま去ったゲストはいましたが、ひどい被害にはあったことはありません。Airbnbを通してゲストを迎えることで先払いが保証されているので、個人で貸し出すより安心感があります」と言う。
Couchsurfingは無料なのでお金のやりとりは関係ありませんが、やはりSNS内に履歴や評価が残っているという安心感はあります。
(ただ、女性ゲストが男性ホストに襲われたとか、男性ゲストが女性ホストを襲った、なんて話は何度か聞いたので、泊めたのは女性だけ。さすがに最低限のことは気をつけなきゃですが…)
こういったシステムの元、Couchsurfingというサービスは成り立っているわけです。
じゃあ、なぜゲスト/ホストはこのサービスを利用するのでしょうか?
ゲストにしてみれば無料なのは良いですが他人の家に泊まるという不安があります。
ホストにしてみれば、お金にはならない上に、スペースを分け与えたり相手をするという手間や不安があります。
ではなぜこのサービスを利用するのか?
言い換えれば、このサービスを通して、ゲスト/ホストはどんな価値を交換しているのでしょうか?
「体験」という価値の交換
ゲストとホストが交換しているもの、それは「体験」という価値です。
ゲストは、旅先の人々のありのままの日常を垣間見て、会話を通じて異文化を知り、地元人に観光案内してもらうという「体験」ができる。
ホストは、異国の人に出会い、会話を通して異文化を知り、自分の文化を見つめなおし、地元を案内するという「体験」ができる。
これこそが、CouchsurfingというSNSが提供しているサービスであり、わざわざ見知らぬ人の世話になろうと思わせるだけの価値があるものなのです。
そして、安全性は「レビュー」というシステムによって担保されている。
ネット上での「個」の形成
アメリカ発で注目を浴びるUberのようなサービスもそうですよね。
「レビュー」というシステムは「悪いことをしないでおこう」と思わせる防止策になると同時に、「より良いサービスを提供しよう」という動機づけにもなる。
以前Google創業者の本を読んだときに、「将来はネットは実名制になり、個々人の記録が生涯にわたってストックされていく」みたいなことが書かれていました。
上述のような「良いレビュー」「悪いレビュー」が個人の名のもとストックされていく時代がくるのかもしれません。
そうすると、「悪いレビュー」ばかりの人間は、自然とネット上において淘汰されていく。良いサービスを提供し、「良いレビュー」をたくさん得た人間が「個人」としての存在感を獲得する。そうなるのかもしれませんね。
「価値観を買う」時代
ネット上の「個人」と絡めて思うのは、そうした自分の好きな「個人」の価値観を買う・体験するという経済活動が今浸透しつつあるんじゃないかな、ということ。
わかりやすい例でいえばTwitter。
例えば私はこの方をフォローしています。
twitter.com
元新聞記者で、今は作家・ジャーナリスト。
毎日自分のコメントつきでニュースをシェアしていて、本も書かれたりしています。
私は佐々木さんの考え方が好きで、シェアされたニュースを読んだり、ご自身の著書や、紹介されている書籍を読んだりしています。
そうしていてふと思ったのが、「私はこの人の『価値観』を買っているのではないか」ということ。
また、以前英語記事で紹介したこの方も良い例ですね。
twitter.com
LINEの役員をされていますが、日頃の発信によってただの役員以上の影響力を持ってらっしゃる印象です。
たまに「この本めっちゃいい!経営者は絶対読むべき。」みたいなコメントつきで本を紹介されていることがあるのですが、そうすると実際の店舗(紀伊國屋書店やジュンク堂など)で途端にその本が飛ぶように売れるそうです。
もうそこらへんの広告以上の威力ではないのかと。
そしてこの「個人」が強いのは、マスに対して広告を打つよりも圧倒的に高い精度でより興味を持ちそうな集団にリーチできるという点です。
また、インスタでは1フォロワー=〇〇円、みたいな具合にフォロワーに値段がつくそうで、なので数百万フォロワーがいる人気インスタ人は、企業スポンサーつきの投稿をすると数千万円が入ったりするとか。
これはまさにフォロワーがその人の「価値観を買っている」ということなのだと思います。
一昔前でも好きな著者の本を買いあさるなんてことはあったと思いますが、今はTwitterやInstagramなど、著名人が「個人」として発信する場が整備されています。
こうしてかつての「著名人」が文字通り直接やりとりができるレベルにまで近づいたことで、以前では著作だけにとどまっていたものが、「著名人」の興味の対象や近しい考え方をする人たちにまでフォロワーの関心が及ぶようになったのでしょう。
そしてもっと言えば、かつては「著名人」ではなかった「普通のひとたち」が、インターネットという場で自分の価値観や考え、生き方を表現することによって、そこに共感する人々を惹きつけて小さなコミュニティを形成する。そんなことまで可能になってきています。
私自身、高級車や高級な宝石などに全く魅力を感じない典型的な「ミレニアル世代」です。
そんな私が何にお金と時間を使いたいかといえば、価値観に共感できる人の考え方に触れること、自分のまだ知らない世界を「体験」すること、「良いな」と思う場の一部になることに対して、かなあという気がします。
こうした「ミレニアル世代」そしてこれからの消費活動、もとい価値の交換の在り方については、たくさんの本が出ています。
もちろん本から得られるものもたくさんありますが、こうして自らを今の社会構成員の一サンプルとして見つめなおしてみるのも結構面白いものですね。
こう分析してみたのは良いとして、さてじゃあ自分はどうする?というのが肝心なわけです笑
「今の自分に何ができる?」って考えると、いやそれはもう本当になんにもできないのですが、まあなにもできないなりに、少なくともアーリーアダプター、あわよくばイノベーターでありたいな、と思うスコーンでありました。