中高時代、私がよく読んでた本と言えば、ファンタジーでした。小学校後半から読み始めたハリーポッター、デルトラクエスト。ダレンシャン、マーリン、ドラゴンランス、そこらへんは全部読みました。あ、エラゴンは挫折したっけな……
もちろん、ファンタジー以外にも読む本はありました。特に印象に残っているのが、星新一のショートショートセレクションと、キノの旅。星新一は、SF短編集。キノの旅はラノベ。一見全く違う分野のように思えますが、今思うと共通点があったように思います。なんだろう、私たちが当たり前だと思っている世界への疑問の投げかけ方?
星新一には、独特の後味の悪さがありました。本を閉じれば一旦終わりなんだけれども、時々、自分の中の世界がぶれる。え、これで大丈夫だよね?いきなりこの世界が崩れたりなんか、しないよね?私、生きてるよね?ちょくちょく不安でお腹が痛くなることがありました。
キノの旅は、若者キノが相棒の喋るモトラド(バイク?)と共に様々な価値観・文化を持った国々をめぐっていくお話です。
今日は、キノの旅で印象に残ったお話について。
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人類が劇的な進歩を遂げられたのは、言葉を得たからだ。鳴き声にとどまらない言葉を得たことにより、詳細な意思疎通が可能になり、人類をその他の生き物とは一線を画した存在にまで押し上げた。
では心が読めるようになったらどうだろう?言葉すら必要ない!完全なまでに効率的なコミュニケーションが可能となり、人類は一層の発展を遂げることになるだろう!
エライ人たちはそう考えた。そしてなにかしらの機械か薬がついに発明され、その国の人間は全員、互いの心が読めるようになった。
しかし、待ち受けていた結果は予想の真逆をいくものであった。それまではきれいな言葉で隠していた文句や悪口・不満が、相手にそのまま伝わるようになってしまったのだ。そしてもっと悪いことに、人々はそれを覆い隠す術を失ってしまった。つまり、相手に自分の本音がダダ漏れになるのを、防ぐことができなくなってしまったのである。
常に相手に本音が伝わってしまう、相手の本音がわかってしまう環境の中で、人々は他者と暮らすことをしなくなった。数百メートル以内では伝わってしまうので、人々は互いに遠く離れてたったひとりで暮らすことを選ぶようになった。もう誰も結婚はおろか、恋愛もしない。子供の増えなくなったこの国は、ただ座して死を待つのみである。
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「ああ、言葉ってちょうどいいのだな」とでも思ったのでしょうか。なぜかこの話は私の脳に深く刻み込まれています。心が読めたらなあ、ぐらいはだれでも思ったことがあるのではないでしょうか。でもそれは、行き過ぎた技術。却って害悪となる技術。
いま日常を振り返って思うのですが、声に出さずに思っていることがすべてオープンになったら、それって相当まずいですね。言葉って本当に便利で、汚い本音を覆い隠すだけでなく、自分の好きなように装飾を施して相手にプレゼントすることができます。世界で最も本音と建前の使い分けに熟達した国民の一人として言うのですが、全部本音だったら、社会、回りません。自分が常日頃どれほど嘘をついているかを今じんわり痛感しています。。。
今私は通訳という言葉、声を商売道具とする仕事を目指しているのですが、言葉って本当に難しいなと思います。日本語だからこそのニュアンス、英語でしか伝わってこない本音・感動、話者の意図・感情の動き。普段は心→言葉→相手のところに、心→言葉→通訳→相手と入るわけです。特に日本語はひたすら曖昧にぼかす言語なので、本当に勉強のしがいがあります。普段私たちは互いの話を全然聞いていないんだなーということがよくわかります笑
※そういえば以前、こんな記事を書いたのでした。
伝えるって、なんだろう。伝わるって、なんだろう。伝えたいことってなんだろう。
そういえば私たちがマネージ回生だった時の演奏旅行のテーマは「伝える」を大事にする、でしたよね?近頃は今一度、これまで考えるまでもないと思っていたものと向き合っています。