朝からスコーン

考えたこと。やってみたこと。やってみたいこと。

夏のあしもと

 

毎日、緑のトンネルの中を20分くらい歩きながら通勤しています。その足元から夏が感じられるようになってきました。

(あ、お食事中の方は見ないでくださいね)

 

 

 

 

 

 

昨日見かけたのはムカデ(大きかった!)、だんごむし、ちっさいミミズ、カナブン、メスのクワガタっぽいもの、あとはおっきなミミズでした。だれかの足の下敷きになったのか、坂を猛スピードで下る自転車の餌食となったのか。みんなぺしゃんこでした。

近頃ちらほら雨が降っていますが、雨上がりのミミズさんは、ほんと昔から理解に苦しみます。なぜわざわざ地上に出てくるのか。そしてなぜそのまま干からびるのか。もしくは溺れるのか。もしくは路上の轍となるのか。ほんまにあほやなーと小学校のころから不思議に思ってます。雨で地中がびしゃびしゃになるから?謎でございます。

早速アリさんに回収されている場面も目撃しました。アリが死骸を回収しているのを見ると、なんていうんだろう…生命の循環を感じます。

 

ところでアリとか鰯とかハチとか、ああいう集団で動く生き物って1つ1つの個体の命は在って無いようなものだと感じます。女王が頭で、あとはただの身体の一部…自他の区別はなく、仲間が死んでも悲しむこともなく。魚類はどうなんでしょうね。ヘッドっているのか?

女王のためにせっせと働く類の生き物を見てると、プログラミングされてんだなーーーーってめっちゃ思います。面白いね、生き物。

 

路上でぺしゃんこになっている生き物は、昔から私に人間とは別の生命を感じさせる存在でした。小学校は田舎だったために、梅雨の道路はカエルの墓場でしたから…

ぺしゃんこになっている生き物を見ると、「人間の命は果たして尊いのか?」と考えてしまいます。私たちよりもずっと大きい生き物からすれば(アリ:人間レベルの生き物がいると仮定して)、人間が路上でぺしゃんこになっててもなにも気にならないですよね。

「人間の命は尊い」と生まれた時から教えこまれ、社会でも広くそう信じられているのは、結局「『人間の命は尊い』という社会通念があった方が社会がうまく回りやすい」つまり「より自分が安全に生きられる」からということなのだと思います。

 

輪廻転生という考えに従うならば、私も次は女王のもとで働くような生き物になっているかもしれません。どんな感覚なんですかね…

余談ですが、輪廻転生という概念を知った時から、「間」がすごく気になってます。つまり、生命がひとつ終わり、次の生命が始まるまでの期間。自分はどんな形してるんやろーどうやって次のを決められるんやろー「前の生命を振り返って」とか報告させられるんかなーなどなど。

まーそんな先のことを考える前に、とりあえず今世を良いものにします、ハイ笑

 

今日はどんな生命の終わりに出会うのでしょう。