朝からスコーン

考えたこと。やってみたこと。やってみたいこと。

嫌いな言葉「団結力」

 

中高のころ、クラスだか学年だかで"solidarity"という単語がはやったことがあった。

英語の教科書に出てきた単語がいたくお気に召した人々がいくらかいたようで、「ソリダリティだわ!」「うちらまじでソリダリティあるわ!」だとかそんな使われ方をしていた。solidarityとは、団結・団結力という意味である。

斜に構えまくった中高時代の私は言わずもがな、ずいぶん丸くなった今の私でさえ「団結力」「絆」、こういった類の言葉は唾棄すべきと認識している。

 

何が気に入らないかって、その押しつけがましさだ。こうした言葉を口にするのは声の大きい人々、というのが世の常である。本来、「うちら、まじ団結してるなあ」「たくさんの人とつながっているなあ、ありがたいなあ」そんな感慨が自然と各々の内側から湧き上がってきて初めて、こうした言葉は口にされるべきなのだ。

にも拘わらず、こうした言葉は大方の場合において誰かから押し付けられる。「うちら、団結力あるよね?」「うちら、絆でつながってるよね?」とかクソみたいなプレッシャーをかけられる。学年全体が一体になるなどありえない。クラス単位ですらそうである。そもそも一体になりたいなどハナから思っていない。だのに先生から生徒から「団結しなさい」という目に見えない圧力をかけられ、それを面倒と感じる人々は黙って大人しくただ成り行きに任せる。それのどこが「団結」なのだろう。

 

仲良く騒ぎたい人々は勝手に騒いでおけばよいのである。そこに特に興味のない人間を巻き込むんじゃない。行事のたびに繰り返しそう思っていた。(こんな人間の旦那が元文化祭実行委員長というのはなかなか笑える)

 

大学オケの空間が心地よく、自発的に一体感を感じられたのは、「よりよい音楽を目指す」という共通項があったからかもしれない。人と人で向き合ってばかりの関係は正直なかなか発展させにくい。音楽が人間関係を媒介して、そしてそれぞれが必死に取り組んだということもあって、今のような気のおけない関係ができあがったのだろう。

願わくばいつかまたこのような仲間に出会いたいな。ふとそう思った、雨の月曜日である。