朝からスコーン

考えたこと。やってみたこと。やってみたいこと。

カレーから始まる話

 

昨日の晩御飯には、ルウを使ったカレーを作った。やはりこのルウからのカレーというのはあまり心から喜んで食べられない。なんかいろいろ身体に良くないものが入っている味がするのだ…

とはいっても、学生時代のようにのんきにカレー粉と小麦粉で作っている時間はない。ちょっと悲しい。しかしやはりルウは避けたいなあと昨日改めて思った次第で、土日にカレー粉カレー作り置きでもしようかなあなどと考えながら床についたのであった。

 

 

誰かの笑顔のために

 

私は料理が好きである。誰かが食べてくれるという前提の元でなら。お菓子作りも好きだ。同じく、誰かが食べてくれる前提の元でなら。

 

正直、自分の口に入るものに関してはかなりどうでもいい。あまり料理の出ない家庭だったから、勝手にインスタントなど食いながら育った。自分の身体に入るものに関しては、別にやっすいお菓子でもなんでもいいのである。(ただ、結婚により「もう自分ひとりの身体ではない」「将来もしかすると子供も産むかもしれない」などさすがに考えは改まってきた。)

 

大学3回生で、私は料理に目覚めた。初めて彼氏ができたのと同時期なのは、偶然ではない笑 生まれて初めて、料理をしたいなあと思ったのである。それは「料理ができないのは恥ずかしい」という意識もあったが、なにより喜んでもらいたかったのだ。

ほとんど家庭料理というものに触れてこなかったから、そもそも完成品の味が想像できないところからのスタートだった。なんやかんやこれまで色々やらかしてきたが、地道に上達できてきたのではないかと思っている。ありがたいことです。

 

お菓子作りも、確か同時期に始めた。最初作ったさつまいものよくわからないクッキー的なものは今でも覚えている。笑顔で食べてくれた友人の皆様は間違いなく菩薩であった。料理下手の例にもれずレシピを大改造していたため、このような失敗作が生まれたのだ。そう学習した私はそれ以降忠実にレシピを守るようになった。まずは何事も基本の型を覚えるのが第一歩である。

一時期はバター400gなども買ってきて、毎日鬼のようにお菓子を作っていた。それもこれもみんなが「おいしい!」と言いながら食べてくれたからだ。そのころは自分のバイオリンの下手さに嫌気が差すわ、家庭事情は複雑だわで欝々としていた。私はこのパートに、このオーケストラに何も貢献できていないではないかと。

そんな私にとって「おいしい!」と言ってくれる仲間の笑顔は救いであった。お菓子作りが上達して、練習時にお菓子を配るのが常になってくると向こうから催促してくる人すらあった。本当に嬉しかった。お菓子作りを通して、私は居場所探しをしていたんだなーと思う。

今思い返しても、学生時代は本当に幸せだった。欝々としていた頃でさえ、こんな幸せな、恵まれた時間はもう一生来ないんだろうなーと日々思っていた。京都は間違いなく私の心の故郷であるし、そこで出会った仲間は文字通りかけがえのない存在である。

 

またお菓子、配りたいなあ……