朝からスコーン

考えたこと。やってみたこと。やってみたいこと。

2018年の振り返りと2019年の目標

気づけば10日間の冬休みも最終日。明日からは仕事です。

2018年の目標を立てていたので、振り返ってみます。

ついでに今年の目標も書いてみる。

ayacai115.hatenablog.com

2018年の目標振り返り

2018年のゴール

2人仲良く健康に1年を終える

=> ◎

海外でも通用するエンジニアとしての一歩を踏み出す

=> ◯ エンジニアとしてのキャリアはいい感じにスタートできた

自分の意見や見解を論理的に説明し、人に納得してもらえる人間になる

=> △ これはまだまだ。今年はいっそう鍛えたい。

そのゴールを達成するための目標(2018年)

社内で中堅のエンジニアになる

=> △ まだ中堅にはなれていないな…今年こそ。

 

良き妻良き友良きパートナーとして生きる

=> ◎ 旦那「十分十分」

 

2人でいられる時間を大事にする

=> ◎ できた。楽しかった。

 

毎日30分は、業務外で技術の勉強をする

=> △ 11,12月は1,2時間は勉強していた。それまでは勉強していない日も多かったかも。

 

月に1度はLTする

=> ☓ 計2回だけ?これはそこまでがんばらなくてよい気もする…まずは技術力をつけたい(といいつつ、1月にすでにLT入れてる)

 

チーム意識を持つ

=> ◎ これはこの1年でとても伸びた。会社としても、組織づくりが進んだ1年だったと思う。今後も伸ばしていきたい。

 

開発するプロダクトについて語れるようになる

=> ? 目標の意図がわからない… 自分が開発している内容について適切な説明はできるようになった気はするが

 

Alexaのスキルを自分で開発してリリースする

=> ◎ 1つ作った!(倍返し) 

 

Jared Diamondの著作を6冊読む

=> ☓ 1冊も読んでないw

 

物事を観察して、自分の言葉で表現してみる

=> ◯ 口頭では、旦那だったり職場の人だったりと話してみることはできたかも。

 

AIを理解し、説明できるようになる

=> △ 理解は全然してへんなー とりあえず、「データセットを与えて学習させる。それをもとにアウトプットを出す」「アウトプットを出す際のアルゴリズムブラックボックス」「データセットによって学習結果が大きく変わるので、目的に沿ったデータセットを与えることが大事」とかそれくらい?

 

Bizmates(スカイプ英会話)で、Level5(最上級)に到達する

=> ☓ ダンススクール費用捻出のため、Bizmatesはやめました

 

本を読んだらアウトプットする習慣をつける

=> ☓ 全然できてない。Twitterでつぶやくくらいでもやりたいなー あ、ただiPadで技術書読むようにしたから、いろいろ線引いたりメモとったりできるのは便利

 

判断時は取捨選択を意識する

=> ? 意図がわからない。なにかに影響されてこの目標を立てたのだと思うのだが…

 

言葉や事象に対する感受性を大事にする

=> ◎ できた。ただ、アウトプットするときの表現があいまいすぎるという課題はある。

 

観察、観察、観察

=> ◯

 

アウトプット、アウトプット、アウトプット

=> △ 社内アウトプットはがんばったかも?しかしプライベートではQiitaもブログも全然書かなかった…

 

2019年

ゴール

  • 2人仲良く健康に1年を終える
  • 海外でも通用するエンジニアになる
  • 自分という人間を楽しめるようになる

 

目標

仕事

  • データ構造、アルゴリズム、ネットワークなどの基本的な知識を身につける

  • Ruby/Railsのエキスパートになる

  • プロジェクトを牽引できるようになる(MTGファシリテーションとか、案出しとか、進捗管理とか)

  • 週1回は技術記事を書く(簡単なものでもいいから!)

  • 単語帳アプリをリリースする!!

 

プライベート

  • 良き妻良き友良きパートナーとして生きる

  • 2人の時間を大事にする

  • 毎日10分 The Economist音読

  • 自分に合うメイク・ファッションをみつける

  • 読書 1冊最低1ツイート!

  • 自慢できる腹筋をつくる

 

抱負

去年はエンジニアとして大きく成長できた1年でした。今年は更にその5倍くらい成長して、もっとバリューを発揮していきたいです。がんばる。

2018年は、前を向いて進みつづけていたらあっという間に終わってしまいました。2019年もおそらくそうなのだろうなと思いつつ、もっと楽しくて面白い1年にしていきたいです。

みなさん、今年もどうぞよろしくおねがいいたしますm( )m

納得感

面接 x 納得感

ちょうど1年前、初のエンジニア就職を目指して転職活動を行っていたころ、キャリアアドバイザーさんから印象的な言葉をいただいた。

 

いわく、「面接は納得感が重要です。」と。

 

面接官が面接を終えたあと、「今面接した奴はこんな人間だった」と思い出せるよう、きちんと印象を残すことが大事らしい。

 

うまく理解できない話=納得感のない話は記憶に残らない。記憶に残らない程度の話しかできない人は、あまり採用しようとは思えない。そういうことらしい。

 

確かに事実そうだな、という気はする。

 

自分も何度か面接官として候補者をジャッジさせていただいたことがある。前職を辞めた理由、この会社を志望する理由が曖昧で納得できなかった人には、概してあまりいい印象は持てなかった。

 

 

 

1年前の転職活動の時は、このアドバイスを受けて以来、相手にとって飲み込みやすい言葉を模索するようになった。特に私は全くの異業種からの転職だったため、なぜエンジニアになりたいのかの説明はアドバイザーさんと何度も練りに練った。

 

最終的にひねり出した答えは、「技術の発達を見るに、通訳としての未来には不安がある。ならば、パイを奪われる側ではなくパイを奪う側に回りたい。技術を発達させる側の人間になりたい。」というものだった。

 

これはなかなかウケがよかったらしく、第一志望の会社の面接官も、これで「おもろいやん」と思ってくれたらしい。うまいこと「納得感」のある面接ができたというわけだ。

 

一方でこの言葉が全くの真実かというとそうでもなくて、通訳業はおそらく廃れないだろうと思っているし、そもそもエンジニアを目指し始めたのは、将来移住を考えているNZでは通訳でビザをとることは難しく、エンジニアならはるかに簡単にビザをとることができそうだったからだ。

 

でもそんなややこしい説明をしても、まあ聞き流されて終わりだろう。

 

事実をそのまま伝えることは必ずしも正解ではなくて、相手に伝わりやすい形に編集する必要がある。それはこの転職活動において、大きな学びだった。

 

 

 

物語 x 納得感

そんなこんなで無事エンジニアとして働き始めた私は、マンガワンというアプリにはまっていた。

 

マンガワン

マンガワン

  • SHOGAKUKAN INC.
  • ブック
  • 無料

 

マンガワンというのは無料で漫画が読めるアプリだ。時々手塚治虫などの古い作品も掲載されるが、大半は新しい作品だ。毎週更新されるので、曜日ごとにお気に入りの作品を読むのが今でも日課になっている。

 

このアプリの面白いところは、他人のコメントが読めるという点だ。各話最後にコメント一覧があって、他人の感想を読むことができる。これがけっこう面白い。

  

しょせんスマホアプリというべきか、明確に面白くない作品というのはあって、そういうものはやはりコメント欄も荒れる。

 

そんな荒れたコメント欄を見ながら、ある日私は思った。

 

 

「これも納得感なんじゃないか…?」と。

 

 

「これまで人間不信に陥っていた陰鬱なキャラが突然覚醒して明るくなり仲間仲間と言い出すようになる」「世界各国の殺し屋が集まってくる必然性がよくわからない上にみんな小者」「あまりにも人がばたばた死にすぎてちょっとついていけない」。。。

 

そういった感想はすべて納得感の欠如によってもたらされるのではないか、と気づいた。

 

人間不信ならその理由が知りたいし、それが突然仲間思いになるのであればその心境の変化の描写は必須だ。しかもとってつけたようなものではなく、きちんと納得できるだけのものが。

 

世界各国の殺し屋が集まってくるのなら、それだけ重要な事件なのだということを読者に伝える必要があるし、人がばたばた死ぬのならその種明かしは必ずしないといけない。

 

「物語が浅い」「共感ができない」。これらはいずれも読者を納得させられていないということなのだと思う。

 

これはなにも漫画に限った話ではなくて、小説、劇、映画、すべての物語に通じる話ではないだろうか。更に言えば、学術系の本や、仕事での会話、つまりあらゆるコミュニケーションにおいて普遍的なものなのかもしれない。

 

いいな、すごいなと思う物語は例外なくキャラクターが魅力的だ。キャラクターが魅力的なのは、彼らの個々人の動機や行動に納得感があるからだ、と思う。

 

 

現実 x 納得感

 

一方で、現実はそんなに綺麗に説明できるものではない。個人の人生は偶然の積み重ねだし、人間の感情もコミュニケーションも複雑だ。

 

事実をそのまま伝えることは必ずしも正解ではなくて、相手に伝わりやすい形に編集する必要がある。

 

 

さきほどのこの言葉は、さじ加減によっては危険な考え方になりうる。悪い方に振れてしまうと、陰謀論やデマ、フェイクニュースとなってしまう。

 

こいつは悪で、こいつは善。二元論は易しいし、楽だけれども、世界は、社会はそんなにシンプルではない。

 

 

物語を描く側としては納得感を与えることが重要。

 

一方で、現実社会を生きる上では納得感を求めすぎず、その歯切れの悪さを受け止めながら事実と向き合い続ける粘り強さが何よりも大事だなと思った。

価値観

 

自分の好き嫌いに素直になることがこれからの時代を楽しく生きるコツなんじゃないか、と最近思う。

 

今はすべてがものすごい速さで変わりつつあるから、誰かの価値観にがんばってあわせてみたところで結局それが数年後、いや数カ月後には時代遅れになってしまう可能性があるからだ。

 

まあ使い古された例だろうけど、親や周囲の「いい大学に入っていい会社に入ってくれ」という期待に応えてみたところで、数年後にその会社がまだ残っているかすら定かではない。残っていたところでお世辞にも将来性がある会社とは言えなくなっている可能性もある。

 

InstagramやらTwitterやらFacebookやらで他人の眩しい姿を見て、自分も同じようなことをして同じような評価を受けてみたい、と思うのはごく自然なことだ。でもこれって結局他人の価値観に合わせているだけであって、それだって数年後に変わる可能性が高い。

 

大学の友人で、京大の院を出て、京都で塾講師をやっている奴がいる。たぶん京都が好きすぎて、卒業後も京都に居座りたくなったんだろう。本当にすてきだなあと思う。京大の院を出て塾講師、あんまり一般的なルートではないかもしれないけど、本人が本人の価値観に従って幸せになれそうな行動を選択したわけだ。これからはこういうスタンスの人間が幸せになりやすい気がする。

 

どんな価値観が正解かわからない。というか、テクノロジーの進化で個人のできることが広がって、価値観の軸が無限に増えていく。誰も正解は示してくれないし、そもそも正解は存在しないかもしれない。だったら、少なくとも今この瞬間と近い未来、自分が幸せになれそうな行動を選択していくのが一番いい気がする。

 

それは逆もそうで、嫌いなものからは徹底して逃げる。世界は広いし、これからも広がり続けるだろうから。

 

好きな人と一緒にいる。嫌いな人とは一緒にならない。
ものすごくシンプルだけど、これが貫けていない人、というか貫けない環境にいる人はとてもとても多いと思う。

 

私はとても好き嫌いが激しいので、というか自分が不快な環境からは全力で逃げたいので、そのための力をつけるぞ、というのが当面の方針。

 

 

短期的な好き嫌いで判断する、というのはまあ行き当たりばったりかもしれないけど、そもそも1年後さえ予測するのが難しい昨今なのだから、短期的な自分の幸せを大事にすることこそが、結果的に長い目で見ても自分の人生の幸せにつながっていくんじゃないか、という気がする。

 

生きる

 

 

初夏の京都が、好きだった。

 

 

なにかを懐かしむとき、思い出されるのはいつも、そこにあった自然だ。

 

あのころ、わたしの、わたしたちの世界は、狭かった。
今思えば笑ってしまうほどの、狭さだった。
下宿と大学、否、下宿と練習場の行き来で世界は完結していた。

 

その狭い狭い世界の中で、ときには鼻息荒く、ときには苦しみながらよくわからないものと戦っていた。
なぜ、たかが部活に、と今となっては思うけれども、当時のあの狭い世界の中ではそれがすべてだった。
(実のところ「部活」と言われることすら嫌だった。「部活」呼ばわりしないでくれ、わたしたちは本気なんだ、と)

 

 

この夏もきっと、いくばくかの若者が、「京大オケ」の名のもとに、もう二度と来ない夏を過ごすのだろう。

 

私にとっての過去は、誰かにとっての未来だったりする。
人生だなあ、と思う。

 

 

 

 

 

 

初夏の京都は、美しかった。

 

 

初夏は、私の一番好きな季節だ。
毎年、桜が散ったあとは初夏の到来を首を長くして待っていた。
鮮やかな緑。瑞々しい葉の質感。優しげな木漏れ日。
なんの用事もないのに、鴨川沿いをただただ自転車で走った。

 

信号待ちをするごとにじりじりと着実に焼いてくる容赦ない夏の日差し、凍死のつらさに思いを馳せずにはいられない冬の底冷え。初夏のほんの数週間には、それらを補ってあまりあるだけの美しさが、あった。

 

 

 

5歳まで住んだ長田の桜。小学校の6年間、四季のうつろいを感じ続けた登下校のあぜ道。玄関にできたツバメの巣。夏の早朝のヒグラシ。秋の夕闇の虫の声。冬の乾いた空気の響き。セーラー服の紺と桜。

 

京都で鍋の買い出しの帰りにみんなで見上げた月。早く着いちゃったな…と玄関先で待ったときの夕焼けの色。夏にセミの鳴き散らす中練習したときの顎当ての汗。ボロ屋に寒風吹きすさびすぎて全く練習にならなかった冬。徹夜の回生総会で初めて口にしたレッドブル(もっとも辛い思い出のひとつ)。授業をさぼって見に行ったツツジ平等院の鮮やかな藤の花。

 

 

全部、全部おぼえてる。

 

 

 

 

すべては、あっけなく終わってしまう。気づけばすべてが過去になっている。
これからもずっと続くと錯覚していたものが、気づけばもう訪れないものになっている。

 

だからわたしは、今を、この瞬間を、大事にしようと思う。
この瞬間を、生きよう。
それは別になにかを精一杯頑張るとかではなくて、今この瞬間にしかないものを大切に愛でることだと思う。

 

あじさいが日々花開いていくさま。ツバメの巣作り。今朝見たばかりのバジルの芽が夜にはまた成長しているさま。旦那の寝言。今日の料理のあじつけ。一緒に働いているひとたちの表情。

 

わたしたちはうっかり忘れてしまいがちだけども、時は止まらない。
すべては過ぎ去っていく。
すべては、過去だ。

 

きれいごとでもなんでもなく、すべては一期一会で、芽生えたバジルの種は、もう元に戻ることは無い。

 

 

 

 

 

初夏の京都が、好きだった。

 

 

今は、東京のあじさいの色も、好きだ。
そう遠くない将来、今この瞬間を懐かしく思い出す日も来るのだろうなと思いながら。

結婚して2年が経ちました

結婚して2年が経ちました。

…正確には2年1ヶ月と2日。

あっという間に1ヶ月が過ぎてしまった。

 

この1年で変わったものを挙げればきりがないけれども、一方で変わっていないものもあって、それは旦那が西武ファンだったり私が甘いもの好きだったりとかそういう、ありふれた日常。

 

二人そろってソフトウェア開発者という仕事に就いて、土日に「こんなもの作れたらいいね〜」とか、「型が」とか「DBが」とか言ってるのは、まあ、間違いなく1年前から変わったことかな笑

 

結婚したときは、この毎日が特に感慨のない当たり前のものになっていくのかなと思っていたけど、意外とそうでもなくて、今でもやっぱり会社帰りの夕空や、休日の昼下がりの陽の色をかみしめている。

 

自分の足で面白い人生を歩んでいきたいという思いはずっとあって、この二人ならきっと、ずっと面白いことを追求していけるんじゃないかという確信に似た期待がある。

 

旦那と出会えた私は本当に幸運で、これからも本当に毎日が楽しみで、もっともっと面白くてすごいやつになってやろう、という結婚3年目の決意表明でありました。

 

17歳のあの日は、「受験生がうらやましい」と言われてカチンときたけれども。

「受験生がうらやましい」

私の17歳の1年間は、ほぼ受験勉強一色だった。

 

11月生まれ。

 

17歳になった11月から翌年の4月までは、ちょくちょく部活をがんばったりもしたけれども、4月に引退してからはまさしく受験勉強一色になった。夢はでっかく、目指すは京都大学文学部。

 

模試を受けても受けても出るのはD判定、E判定ばかりで、本当に怖くて、追い詰められていて、毎日を必死に生きていた。

(「30歳の私へ」とかそんな感じのタイムカプセル用のメッセージを書くことになったときも、「あなたは京大生になれましたか?京大卒業生ですか?」としか書かなかった爆)

 

毎日をそれだけ必死に生きていたので、とある教師のこの言葉にカッチーン!!!ときたのは当然だと思う。

 

教師「受験生がうらやましい。もう一度受験したいぐらい」

 

授業中にこの言葉を聞いたときの私の胸中は「んだとコラァ!??どんだけ辛いかわかってんのか!???アアン!!!????」だった。

 

本当に腹が立って、その夜父に「先生がこんなこと言っててんけどめっちゃむかつかへん!!!??????」と言ったら、なんと、予想外なことに父は先生に賛成したのだ。「それはわかる気がするなあ」と。

 

当時は教師の言葉にも、父の対応にも非常に不満だったんだけれども、26歳になった今、ちょっとは彼らの気持ちがわかるようになった気がする。

 

 

コントローラブルかアンコントローラブルか

受験はコントローラブル

人生におけるさまざまな出来事において、受験は比較的コントローラブルだ。ここでいうコントローラブルとはつまり、「自分の努力でなんとかなる」ということ。逆はアンコントローラブル、「自分の努力ではどうにもならない」。

 

もちろん、家庭の事情でアルバイトに割かれる時間が大きいとか、塾に通うお金がないとかそういうことは子供にとってはアンコントローラブルなんだけれども、幸いにも私の高校は恵まれた家庭の子供が多かったので、そういった障害はほとんど無いに等しかった。

 

そういった最低ラインをクリアすると、受験はとてもコントローラブルだ。なにをどれだけ勉強するか。本当にそれだけ。たったそれだけ。(あとは当日の運!これが5割くらいを占めるけど!笑)

 

で、教師の言っていた「うらやましい」とは、そのコントローラブルさに対してなんじゃないかと思う。なぜなら、社会ではアンコントローラブルなことの方が多いから

 

 

 

社会はアンコントローラブル?

世の中、アンコントローラブルなことはいくらでもあふれている。大きくは景気の波、法律の改正、税金、会社の業績、小さくは迷惑なご近所さん、自分の異動先、職場の人間関係、家族関係など……

 

教師だったら、どんなクラスにあたるか、生徒たちの親はどんなか、同学年の他の先生は誰か、とか。そんなの全部アンコントローラブルだ。

 

安定の象徴と言われる(と言われていた)大企業だって、アンコントローラブルのかたまりだ。どの部署に配属されるか、先輩・同僚・後輩は誰か、合う上司か合わない上司か、取引先がうまくいくかいかないか、会社の業績が良いか悪いか…これらも全部アンコントローラブル。

 

で、ここまで書いて気づいた。

私は自分の人生をできるだけコントローラブルにしたいんだと。

 

 

 

自分の人生をコントローラブルにしたい 

コントローラブルな人生とは

私は、自分の人生をできるだけ楽しくて面白いものにしたい。好きな人と、好きな場所で、好きなことをやって生きていきたい。

 

逆に言えば、嫌いな人、嫌いな場所、嫌いなことからは全力で逃げて生きていきたい。

 

そのためには力が必要だ。

 

好き嫌いで選べるようにするためには、好き嫌いを言えるだけの力が必要だ。

仕事でいえば、 自分の行きたい会社に受け入れてもらえるに足る人材になる必要がある。

 

そういう意味で、エンジニアってとてもいい仕事だと思う。

会社が必要とする要件(技術)は明確で、だいたい実力に応じた給料がもらえて、実力さえあれば転職ができて、なにより自分の努力が直接自分のキャリアの足しになる。

 

転職の多い職種だと聞いていたし、実際にエンジニアの方々の話を聞いていても事実らしい。

 

私にとってのコントローラブルとは、「自分の努力が明確に自分の足しになりやすい」ということで、これは自分の仕事を決める上でとても大事なことだったし、これからもそうだ。

 

 

 

コントローラブルな人生を求めて転職を繰り返していた(今気づいた)

私は大卒後2.5年の間に3回の転職を経て現在4社目という、なかなかのジョブホッパーだ。そして今は、本当にいい職場に出会えたしここでがんばっていこうと思っている。

 

で、今振り返ってみると、私はずっとコントローラブルな人生を送れる仕事を探し求めていたんだなと気づいた。

 

今まで経てきた会社・職種を考えてみよう。

 

■ 人材会社の総合職

どんな職種につくかわからない。何を担当することになるかわからない。

とりあえずたくさん数をこなせばよいらしいけど、それをこなした先にいる人を見ても特に魅力は感じない。←今気づいた、これはかなり大事かも…

ここにいても、将来自分で環境を選べるだけの人間になれるかは疑問だった。

 

■ 昭和な企業での貿易事務

社内の人間関係&ヒエラルキーという、業務内容以外の要素が強すぎた。

振り返ってみれば、明確に、「好きな場所」ではなかった。

 

■ 大学教授秘書

ここは好きだった。大学の研究室だったので、周りは専門家ばかり。こういう世界もあるんだ…という社会勉強になった。ここで働かせてもらっていなければ、エンジニアにはなっていなかったかも。エンジニアの世界を垣間見れた時間。

 

 

一時期通訳を目指していたのもそれがコントローラブルと思えたからで、自分の努力で実力をつけて、実力があれば経験が積めて、経験を積めば1つの会社に依存せずとも生きていけるというのが理想的に思えた。

 

それが今ではエンジニアを選ぶことになったわけだけども。

 

 

 

コントローラブルな人生を求めて

 もちろん今後長い人生の中ではアンコントローラブルな出来事がたくさん、たくさん出てくると思う。間違いなく。

一人の人間の力というのは本当にちっぽけなもので、どれだけ力のある人でも結局アンコントローラブルなことの方が多いと思う。(親戚関係とか、あとは病気や怪我はどうしようもない)

 

だた、ひとつだけ言えるのは、コントローラブルにできるものはコントローラブルにしておきたい、ということ。

 

私は一生働いていたいし、そうすると今後の人生の5/7は働いていることになるから、働く環境は自分の好きに選べるようにしたい。働く環境がハッピーになれば、私の人生もだいたいハッピーだ!

 

2年の間、コントローラブルな仕事を無意識に探し求めてふらふらしてきたけども、ついにそれにぴったり来る仕事を見つけることができた。

 

今後もし、エンジニアがコントローラブルな仕事ではなくなったとしたら、そのときはそのときでまた新しいものを探すと思う。でも、それまでの間は全力投球する!!!!まあ、今後十数年は大丈夫だといいな。。。。。

 

2017年の振り返りと2018年の目標

2017年、投資家の藤野英人さんのFbを真似て目標を立ててみました。

そして(あっというまに)2017年が終わってしまったので、その振り返りと、2018年の目標書き出しをしたいと思います。

 

 

2017年の目標振り返り

 

 

・健康で元気に1年を過ごす

→◯ ジムで走り始めていい感じ。年末年始食べ過ぎたのでまた生活習慣戻さなきゃ…

 

・良き妻良き友良きパートナーとして生きる

→夫に聞いてみた ◎「ちょっと筋トレが足りなかったかな」

 

体脂肪率MAX24%、平均22

→△ 平均23%くらい。でも去年よりは減った。

 

・お茶を愛し、お茶にこだわる

 →愛する◯ こだわる△

 

・TOEIC980

→結局受けなかった

 

・通訳をしてみる(友達の手伝いでもなんでも)

→× 機会がなかった…! 

 

・言葉に対する感受性を大事にする

→◯

 

・毎日英語に触れる

 →△ 10月以降はスカイプ英会話再開したりで毎日触れてる

 

・市民オケでの演奏を心から楽しむ

→◯ 3月に本番があった。楽しかった。

 

・TECH::CAMP EXPERTコースを修了する

→◯ 修了した

 

・WEBサービスをひとつリリースする

→× うご、してない… 今年は個人で何か作ってリリースしたい


JavaScript, Ruby, Ruby on Rails, Python, Swiftを実務レベルまでもっていく

→◯Ruby, Ruby on Rails △JavaScript ×Python, Swift


・WEB系エンジニアとして働く

→◎ おかげさまで最高の会社でエンジニアとして勉強させていただいています。


・人を愛する

→◯ 愛したい人は愛した


・大切な人(たち)に集中する

→◯ どうなんだろう、あまり意識しなかった。けどできてたんじゃないかな。


・きままにブログを更新する

→◯ 気まますぎたので今年はもう少しアウトプット増やしたい


・音楽を愛する

→△ うーん、音楽への愛はしばらくおやすみかも。


・「株式」の概念を理解し、人に説明できるようになる

→× 未だにわかっていない汗


(・2018年には、「2017年の目標」のレビューをする)

→◯ した!

 

 

 

2018年

2018年のゴール

2人仲良く健康に1年を終える

海外でも通用するエンジニアとしての一歩を踏み出す

自分の意見や見解を論理的に説明し、人に納得してもらえる人間になる

 

 

そのゴールを達成するための目標

・社内で中堅のエンジニアになる

・良き妻良き友良きパートナーとして生きる

・2人でいられる時間を大事にする

・毎日30分は、業務外で技術の勉強をする

・月に1度はLTする

・チーム意識を持つ

・開発するプロダクトについて語れるようになる

・Alexaのスキルを自分で開発してリリースする

・Jared Diamondの著作を6冊読む

・物事を観察して、自分の言葉で表現してみる

・AIを理解し、説明できるようになる

・Bizmatesで、Level5(最上級)に到達する

・本を読んだらアウトプットする習慣をつける

・判断時は取捨選択を意識する

・言葉や事象に対する感受性を大事にする

・観察、観察、観察

・アウトプット、アウトプット、アウトプット