朝からスコーン

考えたこと。やってみたこと。やってみたいこと。

負の感情の連鎖と「与えあう関係」について

 

こんな記事をみつけまして、思わず読んでしまいました。

 

ninicosachico.hatenablog.com

新聞の個人投稿を例に出しながら、専業主婦家庭において散見される夫の理不尽さや横暴さについて述べています。

 

男性側の言い分としてはこのようなものでした。

「女は『一生その場所で働き続ける』という経験をしてないから、男が『一生誰かを養わなきゃ』というプレッシャーを抱えながら一生務めるつもりの職場で仕事く辛さを理解できない。だから女に仕事の話をすると簡単に『こうすれば』と言ってくる。男はそれが出来ないから辛いのに。もっと、こっちの立場を分かって言って欲しい。」

 うーん、昭和だな…と思ったりもするのですが、それでもこの言い分はもっともだと思います。「一生食わせてく」ってのは時として強い動機にはなるかもしれませんが、やはりすごい重圧なのでしょうね…

 

それに対して筆者はこのように書いています。

だから、私は彼や、世の中にいるかもしれない彼のような男性に言いたいのは、外で働く側の大変さを「その責任重圧ごと理解して優しくしろ」と奥さんに求めるなら、自分も育児に関して「自分以外の生き物の生命維持責任を持ち続けて生活する責任重圧を理解して」ということです。

 

結局「夫」も「妻」もどちらもめちゃくちゃ大変な仕事で、だからこそ夫婦として「あなたも大変だものね」と支え合っていくのが理想なのでしょうが、なかなかそううまくはいっていない家庭も多いのでしょう。

 

社会がもう少し優しくなれたらなあ、と思います。職場で上司・同僚からのプレッシャーや顧客からのクレームにずっと頭を悩まされていたら(実際そういう人が多いと思うのですが)、その負のエネルギーを持ち帰ってしまって妻にあたってしまうのはそりゃ人間しゃーないと思うのです。家事が大変?育児が大変?お前はずっと家でゴロゴロしてるじゃないか、ノルマに追われてプレッシャーに押しつぶされそうになることもないんだろう?そう思ってしまうのは本当に仕方のないことです。

一方で妻は妻で特に母親になってからはめちゃくちゃ大変で、文字通り24時間365日体制での仕事です。子供の世話は言わずもがな、さらに外に出たらずっと周囲に気を遣って行動せざるを得ません。周囲の人々が寛容であればどれほど気が楽になるのだろうと思ったりしますが、人々は人々でそれぞれ疲れていたりいっぱいいっぱいだったり、そうして大声で泣く子供に不寛容になってしまうのだと思います。

 

根本的な前提として、夫婦は「与えてもらう関係」ではなくて「与えあう関係」だと思うのです。相手はこうあるべきだ、こうあってほしい、こうでなければならない、これらはすべて「与えてもらおう」という姿勢です。そうではなくて、せっかく一緒にいるのだから少しでも幸せな時間を過ごしてもらえたらな、という気持ちで互いに接する「与えあう関係」であれたら、きっと幸せな家庭になるのではないかと思います。これは専業主婦・共働きを問わず。

(もちろん中にはどれだけそういった関係であろうと努めても無駄な相手もいるわけで、そんな場合は仕方ありません。笑)

 

我が家は現在旦那の方が収入多・労働時間長の共働きです。旦那の職場は大変そうですが、それでも家では楽しそうにしてくれています。私も今はずいぶん余裕があるので家事にも十分手が回っています。今後互いの環境がどのようになっていくかはわかりませんが、どんな環境にあっても、末永く仲良くやっていきたいなと思う次第であります。