朝からスコーン

考えたこと。やってみたこと。やってみたいこと。

読書感想文

 

移行の時代

 

従来の雇用システムが機能しなくなり、金利は資本主義が始まって以来の最低レベル。企業ががんばればがんばるほど価格競争に陥ってモノは安くなり、一方で富は既に豊かな人々のところへ集中していく。

医療技術の発達により、1960年に50歳だった世界の平均寿命は、69歳にまで延びた。いまのところ、最も増加が激しいのは80歳以上の人口である。

AppleGoogleといった巨大企業の規模はもはや一国家レベルであり、こうした企業のグローバル化によって「国内企業に課税」という旧来のシステムは齟齬を来しつつある。人も言語も資本も流動的になって、国境という概念もぼやけつつある。(だからこそ、その反動として世界的に右傾化が進んでるんだろうな)

IoT、人工知能、アンドロイド。将来はすべてのモノがインターネットとつながって情報は蓄積され、ついには「パーソナルアンドロイド」が当たり前となり、人々は人間を再定義する必要に迫られるだろう…

 

なんかもう凡人としては、おったまげたなーーーーとしかコメントしようがありません笑 世界にはほんっとーーーーに賢い人たちがたくさんいて、その人たちが見通そうとしている未来はきっと、とんでもないことになってるんでしょう。

 

ただなんとなく、今私たちは刻一刻と変化し続けるものすごい激流の中を生きてるんだろうなーーーって感じはします。初代iPhoneが出たのはたったの9年前。私自身が手にしたのはほんの5年前です。でもすでにスマホは中心的な社会インフラになっていて、そこをベースとして成長した企業は数知れず…

 

自動運転車もたぶん20,30年後くらいには当たり前になっていて、それ以降に生まれた人々には「えっ 昔って人間が運転してたの?なんてあぶない!!」とか当然のように言われるようになるんでしょう。

 

 

ぼやける国境

 

今日買って一気読みしてしまった本が面白かった。「未来に先回りする思考法」というタイトルで、今世界はどのような状態にあるか、そして今後どのように変わっていくか。そんなことが書かれている本でした。

 

特におもしろいなーと思ったのが、国境に関する話でした。

そもそも「国境」という概念が誕生したのがごく最近のことなのですが、一般的に私たちが国家と呼ぶ存在は、3つのものを持っています。領土国民権力です。この3つが、新しいテクノロジーの誕生によってどういった方向に変化していくのか。筆者はこのように説いています。

人間の欲望には際限がないという前提に立ち、その性質を活用して経済を発展させていこうとするのが、資本主義の本質です。(中略)

より効率的でよりスピーディに資本を増やしていく方法を探していくと、経済の中心は農業や工業から、金融や情報通信などの非物質的な分野に移っていくのが必然的な「流れ」です。 

 するとどうなるか。

インターネットや金融といった地理的な要素に縛られない産業が経済の中心になるほど、領土という要素の重要性は下がっていきます。 

 

一方で、国民という概念については今のところは領土ほど大きな変化はないとしています。

作り手(生産者)は土地を選ばずビジネスができる時代ですが、結局貨幣が使われるのは、消費者=国民の数が多い場所です。その意味において、国民数が多い国の影響力が高いという傾向は今後もしばらくは続くでしょう。 

 

さて、3つ目の要素である権力についてはどうでしょう。筆者によると、近代国家の特徴は、中心に権力がどーんとあって、それによって国民全体が一律に統治されるという「ハブ型」であるという点にあります。

(前略)17~20世紀は代理人にまとめて管理させることで効率的な社会システムを確立させてきた時代です。軍隊、工場、そして学校さえも、すべて大規模かつ画一的に個々人の行動を管理するように設計されている点では共通しており、いずれも、この時期に標準化されています。 

 

近代より前、農耕社会ではこれらを効率的に管理しようという価値観自体が存在しませんでした。時間の管理が重要になったのは、産業革命後工業社会になり、高速で資本を増やすために、ルールを整備し、画一的に管理する必要が生まれたからです。  

 

どれほど画期的なシステムにも終わりはやってきます。数十年前に確立された雇用制度、教育制度はとっくに終わりを迎えていて、だからこそ今世の中全体で見ても模索するような空気が強く感じられるのだと思います。ただ、人間は惰性というものに非常に弱いです。なじみがあるから、これまでそうだったからという理由で暗中模索の一歩を踏み出せない人は非常に多いのでしょう。

今の移行期を経て、また新たなシステムが確立されたとしても、結局そのシステムもいつかは終わりを迎えます。世界はたぶんずっとその繰り返しで、たまたまある考え方が主流である時代に生まれたからといって、そこにとらわれる必要はないはずです。

 

このあとの宗教の代替物としてのテクノロジーという話もとても面白かったのですが、ちょっとこれ以上書く元気はないのでまた今度。

 

次はなにを読もうかな。。。 

 

未来に先回りする思考法

未来に先回りする思考法