読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

朝からスコーン

語学と読書が好き。好奇心は無限。WEB系めざしてプログラミングはじめました。

堀江貴文著「君はどこにでも行ける」

読書/映画

 

 

何を隠そう、ワタクシ、ホリエモンの大ファンであります。

 

ついでにいうと、イケダハヤト氏も好きです。

 

どちらも過激な物言いからしばしば物議をかもしていますが、

私は彼らほど柔軟な考え方の人はいないと思っています。

 

 

「不謹慎だ」

「そんなことはすべきではない」

「それは常識から外れている」

「それを言われた人の気持ちを考えてみてください」

 

そういった独善的なエセ正義感の方が、よほどよくない。

ほんと。

そういった考え方の人は、自分が満たされないばかりに周囲までしばってしまう。

 

 

さきほど読み終わったホリエモンの「君はどこにでも行ける」のうち、

スコーンがいいなあと思ったものを紹介します。

 

 

 

僕は、内向きの人も、ネトウヨも実は否定していない。嫌いな存在だけど、そうなるのは仕方ないよね、というスタンスだ。 

 

ここで言う「内向きの人」とは、「日本はすばらしい」「中韓はだめ」といった単調な日本礼賛 を繰り返す人のことです。

 

私もまったく同じスタンスです。

そういった人々は好きじゃないし、情けないなあ、自分に自信がないんだなあって思う。

 

でもだからといって「そんな風潮は不適切だ!なくなるべきだ!」とは思わない。

今の日本の置かれた状況を考えると、そうした人たちが出てきてしまうのは仕方のないことだなと思うのです。

 

大概のことにおいて、「誰が悪い」「何が悪い」と断言はできない。経済状況やら、社会の仕組みやらが複雑に絡まりあって、その当然の帰結として出てきてしまう風潮がこうだった、ということなのだと思います。

 

 

レジャーに限った話ではない。これからのビジネスは、ノリのいい遊びのうまい人が、その感覚を生かして生き残れる時代になっていくのだ。(中略)

人の手がかかわらなくては成立しなかった仕事は、人工知能を搭載したロボットの代用が進む。まずは自給の低い単純労働は、10年ほどで社会からなくなるだろう。

そうなったとき、何が価値を持つか。「おもしろいこと」をつくりだす感性だ。これはロボットでは思いつかない。

 

 

遊びながら稼いでしまうユーチューバーはまさにその走りですよね。

 

蔦屋書店だったり、カフェブームとかおうちごはんブームを見ていて思うのですが、これからは「モノ」ではなく「体験・空間」に対してお金を払う時代になってくると思うのです。

 

そうなったら、おもしろいこと、つまりより魅力的な「体験・空間」を提供する人が最強!って世の中になるんじゃないのかなあ。

 

 

 

君たちの国境は、頭のなかにある。

 

面白いことがない。世の中、つまらないことばかり。格差の広がる日本に明るい未来はない…などと、ネガティブな思い込みで、いろいろなチャレンジをしないで生きている。

 

そして、「日本にいて日本が褒められていれば安心」「外国暮らしは言葉が通じないから苦労するに違いない」「旅行はお金がかかるから行きたくない」と、自らの動き出しを制限している。

 

この意識を占めている、強いストッパーが、君のなかの国境だ。

 

ぼんやりと私の中にもあった感覚をはっきり言い表してくれた言葉だった。

これは、「自分にはせいぜいこの程度が限界」といった勝手な思い込みにも通じるものがある。

 

結局、ストッパーをかけているのは自分自身だし、そのストッパーを外せるのも、他でもない自分自身だけだ。

 

 

 

おおっと、つい熱くなってしまって語尾が変わってしまった。

 

やっぱかっこいいっす、ホリエモン

 

スコーンも、がんばります!

 

 

君はどこにでも行ける

君はどこにでも行ける

 

 

 

P.S.

旦那が絶賛鼻づまり中につき、有効な治療法募集中です。

オナシャス。