「累(かさね)」という漫画がある。
醜い外見に強烈なコンプレックスを抱く少女が、他人の美貌と己の醜悪な顔面を交換する術を得て、演劇女優としての階段を駆け上がっていく物語だ。
面白いと思った漫画は数あれど、ここまで深い共感の念を抱いたものは初めてだった。
今になってわかる。
私は長らく、外見コンプレックスの塊だった。
そもそもの始まりは、小学1年生。
それなりに大食漢だった私は、
小学校入学早々デブであることをネタにからかわれた。
「デブ」「豚まん」「豚」
「こいつの机に触ったら穢れるぜ」
小学校1年生だ、そりゃ言った彼らは何も考えていなかったことだろう。
実際、彼らとはその後仲良くやっていた。
でも、6歳の私に投げつけられた言葉はずっと頭にこびりつき、ついぞ落ちることはなかった。
「女の子っぽい服装をしたら、なんて言われるんだろう」
「なに調子乗ってんのとか言われるんだろうな」
「どうせ似合わないって気持ち悪がられるんだろうな」
「おしゃれして馬鹿にされるくらいなら、最初から雑な格好をしておけば傷つかない。」
「どうせデブだし」
「どうせ」
「どうせ」
気づけば、クローゼットからはスカートが1着も無くなっていた。
中学校。
小学校時代、女子トークについていけなかった、というかついていこうともしなかった私は、なぜか女子校に入った。
小学校のころ、普段仲良さそうにしている女子達が、相手がいなくなった途端文句を言い始めるのを何度も目にしていた。
信用できねえなと思った。
めんどくせえなとも思った。
女子ばっかってことは中高もそうなんだろうなと思った。
やっぱそうなんだなと何度も思った。
心の底から馬鹿馬鹿しいと思った。
そうしたものを「女子らしさ」としてカテゴライズしたものだから、「女子らしさ」の立派な一部であるおしゃれも、一層敬遠するようになっていった。
それでも、迷える思春期らしく、自尊心だけはいっちょまえに育ってくる。自意識も。
今私はちゃんと笑えているだろうか?
相手に気持ち悪いと思われていないだろうか?
不細工に写っていないだろうか?
前歯の矯正は汚くないだろうか?
変な私服だと思われていないだろうか?
「なに女らしい格好しちゃって」と思われていないだろうか?
そんなことばかり、気にしていた。
怯えていた。
だれもそんなもの、見ちゃいないのに。
中高一貫だったものだから、6年間、大体そんな調子で過ごした。
仲良くしてくれた友人には心から感謝している。
ありがとう。
大学に入った。
オケに入った。
転機が訪れた。
いや、あっちゃこっちゃ色々ありすぎてどれを転機と呼べばいいかわからないが。
とりあえず、人との会話が楽しいと思えるようになった。
みんな音楽が好きだ。
みんな(色々言いつつも)オケが好きだ。
私もそうだ。
楽しかった。
一緒にいて心から楽しいと思える集団は、初めてだった。
一緒に弾こうと言ってもらえるのは、私にとっては「ここにいていいよ」と同義だった。
居場所ができた。
嬉しかった。
もうひとつ。
女らしくなろうと思った。
理由は割愛する笑
それまでの私は、格好も振る舞いもそれはモウ惨憺たる有様だった。
まず髪を伸ばし始めた。
服を買った。
コップの持ち方を変えた。
マキシ丈のスカートを穿いた。
マキシ丈、というのがポイント。
自分自身がそうだったからわかるのだが、穿けるスカートの長さと自信の大きさは反比例する。
ここでいう自信とは、外見に限らず自分一般についてである。
とにかく自信のなかったころは、足が全部隠れるマキシ丈で精一杯だった。
そのうち膝丈を普通に穿くようになると、「前よりもおどおどせずに人と話せるようになったな」と気づく。
自信のない人は前髪が長いというが、それも似たようなものだろう。
手で口を隠しながらしゃべるのもそう。
なんでもいいから隠したいのだ。
自分のことを見てほしい、でも見てほしくない。
街行く人々を見ていると、おしゃれでスカートが長い人と自信が無くてスカートが長い人は、なんとなく見分けられる。
そして懐かしい気持ちになる。
自分にもそんな頃があったなと。
1,2年ほどか。
そんな自分改革期間中、人といる時に勝手に感じていた居心地の悪さが徐々に薄くなっていっていることに気づいた。
以前よりも堂々と笑えるようになった。
以前よりも目を見て話せるようになった。
以前よりも安心して人の輪の中にいられるようになった。
何よりも大きな気づきは、
「誰も私のことなんか見ちゃいねえ!!」
ということだ。
誰も私の些細な変化やミスなぞ気にしちゃいない。
だから私の好きなようにすればいい。
自信が無い時ほど、いや自信がないからこそ自分の見た目、ふるまい、行い全てを気にしてしまう。
馬鹿にされんじゃないかと思ってしまう。
「累(かさね)」の主人公は、
まさにそのまま昔の私だ。
でも結局他人からすれば、私が多少残念なことになっていようが、そんなことは今朝食った米の炊き上がり具合よりもどうでもいい。
そう心から思えるようになったのは、大学時代最大の収穫の一つだ。
でもさすがにジャージ×ビーサンで駅のスーパーに行くのはまずいかなあ、などと悩む昼下がりのスコーンでした。
おまけ
「累(かさね)」、こんなんです。
なかなかに大胆な表紙揃いですが、おすすめです。