朝からスコーン

考えたこと。やってみたこと。やってみたいこと。

料理って、楽しい

 

 

11月12日に結婚式。

11月13~20日は、タイへ新婚旅行に行ってきました。

みなさま、本当にありがとうございました。

 

 

 

丸一週間の休暇から帰ってきて、月曜日からまたいつものように朝晩とご飯を作っています。

 

料理って、楽しい!

 

10日近く全く料理しないというのは3月に結婚して以来初めてだったのですが、久々に料理してみて気づきました。

 

料理というのはこんなにも楽しいものなのですね!

 

大学に入るまでは全くのゼロ。在学中にちょこちょこ料理をするようになり、この8ヵ月間毎日のように作り続けることで相当上達しました。我ながら!(えっへん)

 

つい去年までは「ぱぱっと適当に作る」ができる人を神様を崇める勢いで尊敬していたのですが、私も最近、できるようになってきました!(うれしい)

 

 

 

やはり何事も「数×学習」なのだな、という普遍の法則を今一度実感している次第であります。

 

 

上達する、って本当に楽しいですよね。英語、バイオリン、アンサンブル、そして中高時代大嫌いだった数学ですら、「できないと思っていたことがいつの間にかできるようになっている」という感覚は、何物にも代え難い喜びがあります。

 

 

料理はもっともっと上手になりたいし、英語ももっともっとわかるようになりたいし、他にももーーっといろんなことができるようになりたい!

 

がんばるぞーーー

 

 

 

磁力

 

 

磁石と砂鉄のようなものかもしれない、と思った。

 

 

 

 

 

ここ数か月、いまだかつて無いほどに、日本語と向き合っている。

 

 

通訳の勉強とは、英語以上に、日本語と向き合う過程だなと気づかされつつある。

 

英語は、どちらかといえば外から入れる作業。こんな言い回し、こんな単語、こんな表現。

 

でも日本語だと、それはすでに自分の中にあるものと向き合う作業になる。

25年の人生を経て、「まあわかるっしょ」と(勝手に)思うようになった日本語を、改めてありとあらゆる角度から解体してみる作業。

主語は?目的語は?前文との関係は?なにを暗喩している?つまるところメッセージはなに?

日本語を分析し、解体して初めて、聴き手に伝わる英語を編み出せる。

 

日本語と、向き合う作業。

 

自分の中と、わかっている気になっていたものと、向き合う作業。

 

 

 

言葉には、自分の「中へ向けて」のものと、「外へ向けて」のものがあるらしい。

 

 

日々を生きるなかで聞く「言葉」という単語は、基本的に「外へ向けて」のものを指す。

つまり、音や文字を媒介することによって誰かに伝えられるものだ。

 

 

しかし考えてみてほしい。

 

今こうして文章を読むなかで、あなたは心の中で「うんうん」と納得したり、「それは違うだろう」と異議を唱えたりはしていないだろうか。

それこそが、「中へ向けて」の言葉である。

 

媒介されない、伝えられない、言葉。

 

「外へ向けて」の言葉は、基本的に「中へ向けて」の言葉に立脚するそうだ。

「中へ向けて」の言葉をどれだけ豊かに持てているか、そしてそれを文字や音声といった媒体に落とし込む力がどの程度あるか、それが「外へ向けて」の言葉の質を左右するらしい。

 

なんだ、私のこの脳内での大量の独り言もあながち無駄では無かったんだな、とほっとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

砂鉄の海に磁石を突っ込んで、引き上げてみる。

 

さて、磁石にはどれだけの砂鉄がひっついているのだろう。

 

 

 

人は、磁石。

 

砂鉄は、感情であり、気づきであり、知識であり、技術であり、記憶であり、まあ、つまるところなんでもだ。

 

同じ状況に在っても、同じ音楽を聴いても、同じ文章を読んでも、磁石によって引き寄せる砂鉄は違う。人によって、違う。

でもなんとなく、いろんな形の、いろんな種類の、たくさんの砂鉄を引き寄せられる人は、ちょっと、素敵な気がする。

 

 

 

 

こんなことを思ったのは、今朝ある本を読んだからだ。

『本日はお日柄もよく』。

スピーチライターの、いや、言葉の、おはなし。

 

昨日数年振りに出会った友人が薦めてくれた本が、期せずしてこの一年の私に句点を、「。」を、打ってくれた。

ああ、そういえば今年は、言葉と向き合ってきたんだったな、って。

 

結婚という新たに始まった共同生活で、新しい職場で、ブログで、そしてなによりも通訳の勉強をするなかで、2016年の私はいまだかつて無いほどに、自分の「中へ向けて」の言葉、「外へ向けて」の言葉と向き合ってきた。

 

「素敵だな」と思うものはいつも、たくさんの砂鉄を引き寄せられる磁石だった。そんな人が編む言葉だった。

 

 

『本日はお日柄もよく』を読んで初めて、自分の中のこの感情が形を持った気がする。

 

あたりまえのように使っている言葉、その言葉にこれだけの注意を、敬意を払える人はなんて素敵なんだろう、と。

 

 

 

奇しくも、25歳の誕生日プレゼントとなったこの小説。

 

幸運な出会いをもたらしてくれた友人へ。

ありがとう。

 

 

本日は、お日柄もよく (徳間文庫)

本日は、お日柄もよく (徳間文庫)

 

 

「聴く」ことの魅力

あっちゃこっちゃ、毎日情報にまみれてるなあ~と改めて思う今日この頃。

情報の波に揉まれたまま何日でもすぐに経ってしまいそう。。。

 

先週から通訳学校、インタスクールの10月期が始まりました。

これから半年間、毎週土曜日です。

 

久々の授業は本当にボロボロで(前期もボロボロだったけど)、あー、勉強しよ……とうちのめされて帰宅。

 

逐次通訳。日本語を1,2文聴いて、止めて、英語で訳出。

前期は「ああ、忘れる…抜けていく…」って、「忘れていく」って思ってたんだけど、先週の第1回授業での先生のコメント。

「そもそも聴いてるときに理解できてなかったの?理解できたけど忘れたの?どっちなの?」

 

うーーーーーん。

改めて言われてみると、そもそも日本語で言われていることがわかっていないこと多し。

「だれが(S)、なにをした(V)。」

英語はこれがなきゃ成り立たない。

 

日本語は単語をぽつぽつ呟くだけでも一応成り立つ。時制適当、語順適当上等!

だから「わかった気」になっている日本語。でもいざSVを問われるとけっこうわかってない。

 

「そもそも聴いてるときに理解できてなかったの?理解できたけど忘れたの?どっちなの?」

 

開始早々、目から鱗の授業でした。

 

 

 

他人の話とか会話とか、特に興味無かった。昔は。

 

大学時代、学生オケの運営部で書記をすることがあって、会話をひたすら「聴く」という経験をした。聞くじゃない、「聴く」。

 

この人は何が言いたい?

この人のこの返事は何に対してだ?

お、この発言はこれまでの流れをぶったぎったな?

 

会話に対してここまで集中するのは初めての経験だった。

そこで初めて、会話って、人と人との化学反応って、面白いな。と思った。

 

通訳ってとんがった個人プレーの人が多い印象(ごめんなさい)なんだけど、人の話を「聴く」ことに長けた人種なんだろうな。

むしろそれこそが仕事、か。

 

 

あと、司会ってめちゃ面白そう!

BBC Radioを聴いてるとしばしば「司会と、ゲストの専門家3人」みたいな番組が出てくるんだけど、司会(moderator)ってほんとにかっこいい!

話振って、聴いて、まとめて、つっついたり、ぶつけてみたり、なだめてみたり。。。

ほんの10分くらいの討論でどういった化学反応が起こせるか、これが司会の腕ってもんなんだろうなあ。

自分がいっぱいしゃべるわけではない、でも議論を回す人。

かっけー

 

いやー、すごいな、かっこいいな、と最近思うのでした。

さ、明日は学校だ…楽しみ!

ねぎとごまと豆腐と。

なんとなく憂鬱な気分なので今日の晩御飯作りはお休みさせていただき、数日振りにブログなぞ書いてみる。

 

 

豆腐の上にごまとねぎをたっぷり載せ、その上からさらーっとだし醤油をかけてみた。

うまい。

 

 

毎日晩御飯を作るのは義務ではない。旦那よりも私の方が帰るのが早いから作っているだけだ。

しかし勤務時間と給料が仮に完全に逆転したとして、家事の分担も全く同様に逆転するのだろうか。

世界経済フォーラム発表の男女格差が144ヵ国中111位との報に触れ、そんなことを思った。

 

 

石黒浩というアンドロイド研究者の言葉が面白い。

彼曰く、「夢は持つな」

「夢」をしぼると、他のものに興味を持てなくなってしまうから。時間をかけなくなってしまうから。

もっと言うと、他のものに興味を持たない便利な「言い訳」を手にしてしまうから。

 

彼はロボットが好きなのではなくて、人間にとことん興味があって、人間を知るためにロボットの、アンドロイドの研究をしているらしい。

変わった人もいたもんだ。

 

でも「夢は持つな」という言葉には不思議と救われてしまう。

 

今私のしている勉強は役に立つのだろうか。

今私が目指している仕事は数十年後も需要があるのだろうか。

この投資は無駄にはならないのだろうか。

 

そんな、悩んでもどうしようもないことの迷宮からちょっとだけ、解放される。

 

ノーベル賞受賞者の方の「役に立つか立たないか」の弊害の指摘も、そういえば記憶に新しい。

 

 

「ブログは一種のセラピーだ」なんて意見を聞いたことがあるけれど、実際そういうところはある気がする。

頭の中のごちゃごちゃを、たまには言葉にしてみるのも、良いものだ。

 

親の影響、人の影響

ハードは実母。ソフトは父、と義母がちょっと。

 

ハードは、外見、ふるまい、趣味とか特技。

ソフトは、考え方、物事の捉え方。

 

父からの影響が強い、と長年思ってきたし今も思ってるけど、やっぱり私は実母の子でもあるのだなあ、と最近思う。

 

 

見た目もそうだがやっぱり趣味・特技。

 

実母はピアノが好きで、英語が好きで、きれいなものが好きで、フランス語も得意だった(一度もヨーロッパに行ったこと無いのに)。

 

私はバイオリンが好きで、英語が好きで、きれいなものが好きで、もっとたくさんの外国語を習得したい。

 

ほんと、一緒。

ここまで似るもんなんだなあ、とある種の感慨深さすらある。

 

 

そういえば母は運転中や作業中に話しかけられることを嫌った。

その傾向は私にもある。

 

きっと母も「聴覚優位者」だったのだな、と今は思う。

ayacai115.hatenablog.com

ずいぶん前書いたこんな記事。

 

音楽が好き、語学が好き、得意、話しかけられるとかなり集中力を持っていかれるからできれば作業中は黙っていて欲しい、、、一緒だわ笑 

聴覚強め、ですね。

 

 

あとは自分が今脱却したいと思っている完璧主義的なところ、自信の無さからくる過剰反応、そういうところもそのまんまよなー

 

 

 

 

親に限らず、今まで出会ってきた人と自分とをふと見つめなおしてみると、お互いがお互いの要素をちょっとずつ、ちょっとずつ吸収しあってきたんやなと気づく。

 

それは一方的な受容かもしれないし、相互作用的な化学反応かもしれない。

 

個人の境界というのは、実は目に見えているよりもずっとずっと曖昧な、ぼやけたものなんだろう。

とここで、特に詳しくもないエヴァのATフィールドを思い出す。。。

 

そう考えると、一緒にいる人、一緒に時間を過ごす人というのは非常に重要で、それはつまり誰の一部を己の境界と融合させるかということだから。

 

 

いらない縁は、切る。

 

良い縁は、まあ、心の赴くままに進んでいったらつながっていくんじゃないでしょうか。

(時々間違えたりもしつつ。笑)

 

 

 

もうすぐ25歳。。。

 

「生産性の概念の欠如」

昨日ついったしてたらちきりん(@InsideCHIKIRIN)さんのこんなつぶやきが。

読んでみた。

d.hatena.ne.jp

日本の労働生産性が本当に低いかについてはちゃんと統計を読む必要があるからここでの言及は避けるけれども、「生産性の概念の欠如」は完全に同意。

 

「よしっ!じゃあ今できたことをあと5分早く終わらせるためにはどうしたらいいか、考えてみよう!」

そんな言葉、ついぞ聞いたことがない。

 

「じっくり取り組む」「間違いなくこなす」「丁寧に対処する」それが、否、そう見せることが最優先で、早くこなしたらこなしたで「本当に間違いは無い?」「時間いっぱい使わなくていいの?」そう念押しされる教育を受けてきたなと思う。

 

そして私自身、「生産性の概念」が欠如しているな、とこのエントリを読んで気づかされた。

今日の仕事では、それぞれの作業にどれだけの時間がかかっているか把握し、それを10%短くするにはどうすれば良いか、方法を考えてみる。

勉強でもそうだな。なんとなーく毎日英語に触れて、なんとなーく満足感を得ているだけでは前に進めない。まずは自分が「何」に、「どれだけ」時間を使っているかの把握から。

「〇〇しかできない」という機能性

これもあれもそれも、全部スマホ1台で!

 

まさしく「多機能」の権化であるスマホが主要インフラの一つとなって久しいですね。

 

家電製品でも「多機能」の追求を強く感じます。最たるものが電子レンジ

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一度も使ったことのない機能たち……

使うたびに説明書を読まなければいけないわけで、どの程度の消費者が実際に利用しているのか疑問です。

電子レンジは、開発にかけられた労力と消費者の利用方法が釣り合っていない最たる例じゃないか、と思っています笑

 

 

そんなにたくさんの機能、いらないのになあ…

そう思っていたころに存在を知って「これぞ!」と思ったものがあります。

 これ!ただただ「揚げる」しかできない、「揚げる」だけに特化した家電

実物を見たこともあるんですが、これけっこうでかいんです。「こんなにでかいのに揚げ物しかできないんだ…」ってぐらい。

日本のメーカーだったら間違いなく色んな機能をごちゃごちゃつけないと気が済まないであろう大きさです。

 

でもこれはただ「揚げる」しかできない。

 

そしてそれが良いんだと思います。

家事って基本的にルーティンワークなので、「この道具はこのため」と決めて使います。使うたびに用途を検討するのは却って疲れる。

このフライヤーはそんな家事の在り方にうまくフィットしています。

「炒める」「ゆでる」「揚げる」全部をこの1台で!そんなごちゃごちゃ入っていたら、使う人は却って減るだろうな。

 

 

 

そして最近思うのが、

「読むことしかできない」

これってめちゃくちゃ大事なことです。

 

近頃、エクセルで単語帳を自作・プリントアウトして電車などで眺めています。そこで痛感、「紙ってなんて優秀なんだ!」

 

スマホで英単語の勉強なんて絶対できません。

なぜならぜーったいに遊んじゃうから。親指をふいふいっとするだけでTwitterに飛べちゃうわけです。こんなの無理。残念ながらそんな強靭な精神力は持ち合わせておりません。

 

その点紙はどうしたって脱線しようがない。黙々と単語の一覧と向き合うしかない。これが本当にありがたいです。

 

一昔前はひたすら「機能は多ければ多いほど優秀」という傾向でしたが、最近は「より良く、より少なく」といった考えに方針転換しつつある感もあります。

 

改めて紙の「読むことしかできない」というある種の機能性を前にして、やはり何事も適材適所だよなあ、との思いを強くした次第であります。